『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』から紐解く、らせん状に成長するインターネット @メ環研の部屋
メディア環境研究所の研究員が日々追いかけているトレンドや調査速報などを発表し、ご関心をお持ちの皆さまとカジュアルに意見交換・議論をするオンラインイベント「メ環研の部屋」。
今回は、2022年4月12日発売の『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』(太田出版)を上梓した森永真弓上席研究員と、デジタルマーケティング業界の第一人者であり、メディア環境研究所フェローでもある平塚元明氏との対談を実施。
書籍制作にあたり悩んだこと、考えたこと、発見したことなどを紐解きながら、インターネットビジネス黎明期の思い出、歴史的資料の散逸問題、業界でのデジタルの立ち位置の変遷などについて、じっくり語ります。
デジタルマーケティング業界にはすでに歴史がある
インターネット広告市場が日本で始まってから、はや30年近くが経ちました。常に最新を追いかけているように捉えられるデジタルマーケティングですが、振り返ってみれば「過去の再来」といえる事例がいくつも登場し、すでに歴史が繰り返され始めている状況です。
今、デジタルマーケティング従事者は時代の渦中におり、日々追い立てられているように感じているかもしれません。しかし、少し引いて歴史を振り返ってみると、自分の足元がどのような流れでできあがってきたのかをつかむことができます。
さらに「歴史は人(の欲望)が作るもの」という基本に立ち戻れば、次々に登場する新しいキーワードを整理することも可能なはず。そしてそれは、時代に必死に追いつこうともがく状況から、少し先の未来予測を可能にする思考回路に結びつきます。そんな頭の整理に役立つことを目指して、『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』は書かれています。
インターネットの歴史書が世の中に存在しなかった理由
森永真弓(以下、森永):博報堂へ入社して以来、私にとってのインターネットとデジタルマーケティングの先生の一人だった平塚さんと、自著についてお話ができるのは心強いです。
平塚元明(以下、平塚):僕が入社した1989年当時、インターネットのマーケティング広告はまだ世の中に存在していませんでした。
インターネット元年とも言われる1995年に「博報堂でもネット広告をやってみよう」という話が立ち上がって。そこに私もアサインされたんです。その部署が徐々に拡大して、2001年ごろ森永さんと合流して一緒にお仕事をするようになったんですよね。
森永:そうでしたね。私が『欲望で捉えるデジタルマーケティング史』を執筆したきっかけは、「インターネット広告の歴史についての勉強会を開いてほしい」というご依頼をいただいたことです。
平塚:デジタルマーケティングの歴史をまとめたものって、意外と存在しないんだよね。
森永:そうなんですよ。「そういう勉強会資料はないです」と言ってお断りすることもできたんですが……。「このタイミングで一度まとめておけば、今後役立つかもしれない」と頭に浮かんだんです。時間はいくらかかってもいいという話だったので、まずはあらゆるところから資料をかき集めて。
平塚:1990年代〜2000年代はインターネット黎明期で、いろいろな場所で勉強会が開かれていたから、資料もそれなりにあったはずなんだよね。
森永:はい。ただ社内外いろんな方にお問い合わせしたんですが、結局現存していたものはほぼ平塚さんが作ったものだったんですよ(笑)。他の関係者の方々は、過去の勉強会資料をすでに捨ててしまわれていることがほとんどで。
パソコンを買い替えてしまっていたり、当時のハードディスクが小容量だったこともあり、もはや手元に残っていなかったり……。平塚さんが物持ちの良い方で本当に助かりました。
“迷走する”歴史こそがチャーミングである
森永:そもそも本のテーマが、「インターネット広告の変化を出自から紐解いて理解しよう」というものだったんですけど、歴史的に定義するのがとても難しくて悩みました。
なぜかというと、例えばiPhoneが登場した時代と、実際にiPhoneが世の中に影響を与えた時代は異なるんですよ。
平塚:iPhoneが日本で発売されたのは2008年だけど、実際にはスマホが世の中を変えたのは2010年以降だったりする。
森永:そうです。インターネットほど、流行った時期と登場した時期がずれているものはない。例えば、これが江戸時代のように誰も生きていなかった時代の話題であれば、私が独自に「この時代のツールです」と定義してしまってもいいのかもしれません。
ただこれはみんなが生きている時代の話なので、「定義が少しでもずれてしまうと、違和感を覚える人が続々と出てくるぞ」という危機感がすごくて。近現代史を語るときって、常に視点を外に置かないといけないんだなと痛感しましたね。
平塚:遠く離れてみると点に見えることも、近くに寄ってみると波長が見えてくる。それをまとめるのはしんどいことだと思います。特にインターネットのように、常に揺らいでいるようなテーマについては……。
森永:ただ、迷走の歴史ってチャーミングでもあるんですよね。今のデジタルマーケティングってどんどん確からしさや正しさの証明合戦になっていて、「賢い手法こそ至上」といった雰囲気が強まっているけれど、それは個人的にはあまり面白くない。本来インターネットにおけるコミュニケーションってもっと楽しいものだったと思うので。
せっかく本を作るんだったら、いろんな人が右往左往してつくられたチャーミングな歴史の迷走をニュアンスとして残しておきたいな、と思いました。
「長嶋茂雄はなぜすごかったか」を語る必要性
平塚:テクノロジー関連は特にそうだけど、ある時点から参入してきた新人の方が業界のことを片っ端から覚えようとすると、すごく膨大に見えて大変だと思う。その点、この本は若い人にとっても非常に助けになるんじゃないかなと感じます。
森永:平塚さんご自身もいろいろな場で講師をされることがあると思いますが、受講者のご様子はいかがですか?
平塚:僕はインターネット広告基礎講座みたいな内容を教えていますが、1日がかりの講座であれば、半日は若手講師に実践的な運用や最新のメディアの現状について話してもらうようにしていますね。
僕自身が話すのは、いわゆる“概論”です。僕の知識はもうそんなに新しくもないし、若い人には必要ないだろうと事務局の方に言うんだけど、それでも受講生のアンケートには「流れを知っておくことでいろいろと頭に入りやすくなる」と書かれているらしいんだよね。
森永:なるほど。以前とあるメディアの取材を受けたんですが、ライターさんがかなり若い世代の方だったんですね。その方は、途中までこの本を「歴史書」として読んだと言うんです。
ただ、後半にmixiの話が出てきて「あれ? この本の中に私が生きてきた時代が書かれているぞ」ということに気づいて、その途端に前半部分の知らない歴史も流れとしてすんなり捉えられるようになった、と。
それを聞いて、「点」としてバラバラになってしまっている情報を「線」として結んで説明することで、誰かの理解の助けになることがあるんだな、と実感しました。
平塚:それから、“文脈”も大事になってきます。「あるときにこんなインターネット広告がヒットしました」として終わらせるのではなく、どんな文脈で人々がそれに熱狂したのか、を書籍では説明していかないといけないよね。
森永:そう思います。インターネットから話は逸れますが、私は野球観戦が趣味なんですけど、「すごい選手だった」とされている長嶋茂雄さんや王貞治さんの現役時代を知らないんですよ。
平塚:モノマネで見たことがあるくらいですよね、きっと。
森永:はい。私の世代からすると長嶋さんは「面白おかしな発言をするおじさん」という印象で……(苦笑)。王さんは、ホームラン王として数字が残っているからすごさがわかりやすいんですが、長嶋さんのすごさって数字で残っていないじゃないですか。
でも、周りの人に聞いてみると、「内野の守備が華麗だった」「ここぞというときに必ず打ってくれた」のようなエピソード、すごさを感じた時の物語が出てくる。それを聞いて初めて、すごさが“わかる気がする”くらいのところまでたどり着けるわけです。だから、ものごとを説明するには、ある程度昔話が必要なのだと思います。
インターネット第一世代が世の中から姿を消していく
平塚:森永さんって、ディテール愛が深い人じゃないですか。本当はもっとディテールについて面白く書きたかったと思うんです。でも、今回はあえて流れを優先したんだな、と本を読んで感じました。
森永:ディテールを書き出したら際限がなくなるので、やめておこうと決めました(笑)。長い話を簡潔にまとめることで、この本を読んだ方が「あれが載っていない、語らせてほしい」と挙手してくださったら、むしろありがたいと思っています。「新しい資料をありがとうございます!」という気持ちです。
先日、帯を書いてくださった、佐藤尚之(さとなお)さんとお会いしたときに、「これから森永はいろいろな人に話を聞きに行って、語り手の話をまとめる歴史家の役割を担うんだぞ」と言われました。
平塚:インターネット第一世代も、かなり年長者になってしまいましたしね。
森永:例えば、コミックマーケットの第一世代の方の中にお亡くなりになる方が出始めていて、証言がどんどん取れなくなっていると聞きました。インターネット広告に関してもそろそろ同じことが起こるという危機感はあります。
私を博報堂に採用してくださった当時の上司の方に献本のために連絡を取ろうとしたら、退職してから時が経ち過ぎて、なかなか所在にたどり着けないということもありました……。
平塚:1995年のインターネット元年から、もう四半世紀ですからね。僕はいま55歳でかろうじてここにいるけれど、各企業の初代ウェブマスターの先輩方もだいぶ卒業されましたし。
森永:そんなウェブマスターの方の上司で、「なんだよ、デジタルって」とぼやきながら決済をしていた方達もまた歴史の生き証人ですが、そういった方はますます上の世代でしょうから。その頃の歴史が辿れなくなってしまうんですよね。
インターネット勢がマーケティング業界のすみっこにいた黎明期や、「インターネット広告なんて」と言われ、玄関先で門前払いをされていた時代の話とか。今はデジタル勢のほうが元気よくて、ポジションが変化してきていますから。
平塚:インターネットがマイナーだった時代の空気感を思い出す作業も、実は大事かもしれませんね。
森永:当時のマスメディア側の方達に、「あの頃、インターネット勢のことをどう見ていたのか」という話も聞いていかないと、やっぱり細かいところまでは残せないと思います。そんな資料もどんどん消えていっているのが現状ではありますが。
第一線のデジタルマーケティング担当者の助けとなる書でありたい
森永:本の制作話からは逸れますが、最近の広告会社や媒体社のデジタルマーケティング担当者と広告主って、お互いに本質的な会話ができていないと感じることがあるんです。
広告主側が「この広告メニューを使ってみたい」「ここのボタンを赤くしたい」と具体的な要望を言ってきたけれど、その裏にある真の課題を、その要望に沿ったやり方では解決できない事があります。そして広告主側も、その真の課題を言語化しきれないままに発注してしまうことは多々発生します。
広告会社や媒体社の担当者側は、発注者の一番の悩みはなんなのかという真の課題をもっとしっかり捉えないといけないよね、という。
平塚:大事な中間部分の話がショートカットされてしまうケースはよく見られますよね。
森永:課題解決に必要なのは本当にクリック数やコンバージョンなのか。もしかすると取りたいのは視聴者からの認知や理解の向上なのかもしれない、とか。目的から遡ると、本当にリーチすべきターゲットはその層で大丈夫なのか、とか。
互いに広告メニューの話しかしていないと、商品とソリューションが噛み合わないことが往々にして起こってしまう。
平塚:担当者も一生懸命に考えるんだけど、いざ自分ができあがったものを目にしてみたら、「あまりこの広告、見る気がしないな」みたいなトラップもあります。
森永:いま最前線にいるデジタル系の人たちは、歴史を知る機会もなく、日々膨大な情報を浴びながら仕事をしているじゃないですか。インターネットの成り立ちや、「そもそもマーケティングって何だっけ?」ということを俯瞰で捉える時間もない。
そんな方々にとって、この本が助けになればと思いますし、デジタルマーケティングと距離がある人たちとの齟齬を埋めるためのツールとしても役立つといいな、と願っているんです。
あとは、「インターネットが出てきたから社会が悪くなった」みたいな論調も繰り返されていますが、できるだけ“陽のインターネット”であり続けてほしいという私の個人的願望が含まれています。
平塚:この本にインターネットのダークな部分は感じられない。それから、良い意味で流れとしてのインターネットが膨大に積み上がっているけれど、「案外追いつけないものでもなさそうだぞ」というポジティブな感覚を抱くことができました。
歴史を知ることが本質的な理解につながる
四半世紀に渡るインターネットやデジタルマーケティングの歴史。しかし、自分ごととして接することのできるポイントは世代や属性によって異なり、本質までを理解したといえるのはほんの一部分にすぎないのではないでしょうか。
「人の営みは点と点を行ったり来たりする型の繰り返しであり、テクノロジーは線状に進化する。この2つが混じり合うことで、インターネット広告界はらせん状を描きながら成長する」
歴史書ともいえる本書を紐解くことで、この構造を理解し、デジタルマーケティング、ひいてはインターネットとよりよい付き合い方をするヒントになることを願っています。
(編集協力=波多野友子+鬼頭佳代/ノオト)
登壇者プロフィール
※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。