「AIのクリエイティビティは、すでに人間を凌駕している」 東京大学大学院教授・池上高志氏が夢見るAIと人間の未来

博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所は、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を洞察することを通して、メディア環境の未来の姿を研究しています。少子化・超高齢化社会が到来する中、本プロジェクトは現在各地で開発が進められているテクノロジーの盛衰が明らかになるであろう2040年を念頭におき、各分野の有識者が考え、実現を目指す未来の姿についてインタビューを重ねてきました。

人工生命をテーマに、「人間とは何か」「機械に意識は宿るのか」といった難題に取り組む一方で、アンドロイドを活用したパフォーマンスなどアート分野でも活動する池上高志教授に、2040年に向けたAIや人工生命の発展と人々の創造性、文化への影響について話を伺いました。

池上高志(Takashi Ikegami)
東京大学大学院 総合文化研究科 広域科学専攻教授、理学博士(物理学)
専門分野は、人工生命。複雑系・人工生命をテーマに、生命とは何か?を追求する研究を進める。その一方で、アートとサイエンスの領域をつなぐ活動を行う。著書に「動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ」(青土社)、「生命のサンドウィッチ理論」(講談社)、「人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか」(講談社、共著)など。2017年には、世界のあらゆるものに生命性をインストールする会社「Alternative Machine 社」を設立した。

メタバースの影響で、心の時間をどのように考えるか

――ここ1〜2年ほど、「メタバース」という言葉が話題になっています。これから身体や心の居場所に関する認識がかなり変わってくると思うのですが、池上先生はメタバースをどう捉えていますか?

現在、僕含む数人が東京大学で社会連携講座を作っているのですが、そのテーマが「モビリティゼロ」なんです。みんなが動かなくなる未来を見据えて、自動車メーカーはどう考えるのか。それこそ、物理的には1カ所に留まっているけれど、バーチャルの世界によって世界中を旅行できること、つまり時間と空間を超えるという文脈でメタバースはよく議論されます。

そこで、心の時間をどのように考えるか? 僕は2010年にYCAM(山口情報芸術センター)で「Mind Time Machine」(以下MTM)という機械を作りました。半分アートで半分研究のようなインタラクティブインスタレーションです。心の時間は一様に流れているのではなく、淀みがあったり速度が一定ではなかったり。MTMを通して、心理実験や脳の解剖学的にもいろいろなことがわかってきました。


(MTM[Mind Time Machine] 池上高志)

(MTM[Mind Time Machine] 池上高志)

――時間感覚を持つ機械とはどういうものですか? 普通の機械は時間感覚を持ってない、時間は生物特有のもの。生物(人間)と機械の間をつなぐという考えでしょうか?

そうですね。インターネットには一つのまとまった時間はなく、それぞれのサイトやサービスやプログラムの固有の時間が走っています。しかし、人間は時間軸を一本に束ねて考えるところがある。そういった主観的時間の構成は「意識」とも呼ばれます。実際、人間には無意識下にいろんな方向を向いたいろんな矢印としての時間があり、そこから一本の「意識」としての時間を作っているわけです。MTMを作ったときの構想として、意識と無意識の関係は時間を再構成し直すことにあるのではないかという考えがありました。

ただ、2010年当時はディープラーニングが出てくる直前で、今みたいな強力なニューラルネットワークは使えませんでした。そこで、ディープラーニングを使って時間情報をコントロールしたり、主観的時間が進んだり遅れたりするMTMをもう一度作るという計画を進めています。

――メタバースの話を聞いたとき、人間は20年後には地理的な環境から開放されるかもしれないけれど、時間的な概念からはなかなか開放されないのではないかと感じました。しかし、そういった考え方もまた変わるかもしれないということでしょうか?

そうですね。例えばデジャヴって、大人になると結構減ると思うんですよ。子どもよりたくさん経験しているから「あ、ここに来たことある」っていう回数が増えそうなのに、なぜ減ってしまうのか。

おそらく、脳の生成的な性質に関係があるのではないかと考えています。つまり、あたかも経験したかのような記憶やパターンを作ることによって、意識がどんどん更新され、結果としてデジャヴが起こる。知覚は生成的なものだという考え方ですね。大人がゆっくりとした時間を取り戻すにはどうすればいいかを考える材料として、脳の生成的な性質を使えればいいな、と。

もう人間の創造性のほうがすごい、ということはない

――話は変わりますが、昨今は小説や楽曲を制作するAIがどんどん出てきています。そういった状況が当たり前になったら、誰がクリエイティビティを持っていると言えるのでしょうか?

もうご存じかと思いますけど、絵にしても言葉にしても、すでに人間はAIに負けています。僕が開発に携わっているアンドロイドオペラは、GPT-3というディープラーニングで歌詞を作っているのですが、人間の詩人をはるかに凌駕するクリエイティビティを発揮することがあります。絶対人間には考えられないような、すごく面白いものができてきます。人間の創造性のほうがすごいということはない、というのがよくわかったなって思います。人間のクリエイターは、うまいけど聞いたことのある表現です。GPT-3のように突き抜けた表現が作れる人は、なかなかいないんじゃないかな。

――かつて、クリエイティビティこそは人間なのではないかという説がありました。でも、もはやそのレベルではないくらい機械の演算速度やモデルの優秀さが上回っているということですか?

そうですね。沖縄では現在、手術支援ロボット「ダヴィンチ」が前立腺がんの手術を100%行っています。ダヴィンチを使えば、高校生でも熟練の外科医のような縫い方ができてしまう。こういった精度においても、AIは人間に勝っています。1つのマシーンがさまざまなことを実施するのは難しいですが、場面ごとにマシーンを使い分ければ、人間の活動よりもクリエイティブになるのではないでしょうか。

むしろ怖いのは、人間と違ってAIにはデータの可視化が必要ないことです。人間にわからせる必要がなくなった段階で、数学や言語体系は全然違ったものになる可能性が高くなる。「アルファ・フォールド2」が進化力学の構造や量子科学の知識を使わず、タンパクの折りたたみ構造に関し、かなり精度の高い計算をしてしまったとき、みなさん大きなショックを受けていました。人間が見つけてない計算をしたり、人間が今までやってきた数学の証明に対して間違いを指摘したり、そんなことばかりです。

新しい価値観を作る、世界の見方を変えるには

――昨今、我々が生きている世界はリアルとバーチャルが混在してきています。身体がハイブリッド化してくる中で、無機質なものに意識が入ることがあるかもしれません。10年後、20年後、たとえば2040年の未来において、人々の自分自身の捉え方や意識はどのように変わってくると思いますか?

10年、20年ってよく言われますが、今は2〜3年単位で激変しますから、変化のスピードがあまりにも速いんです。指数関数的な発展の中で、先の予測が本当にできない世界になっています。

ただ、この話題に関して言えるトピックの1つに、ジェンダー問題があります。例えば、GitHubユーザーの96%は男性ですよ、とあるAI会議で言われました。今まで男性社会が作ってきた価値観と、それをもとに作られてきたハードウェアやソフトウェアで構築された世界が存在します。日本はとにかく、外国では、そういった世界の延長線上で考えてもしょうがないだろうって意識が強いんです。

しかし、日本では一切そういう話が出てこない。遠い未来を予見する以前の話として、現在の価値観が何の上に成り立っているのかを考えたほうが良いのではないでしょうか。

――そのような社会に強くかかったバイアスや文化的意識は、AIで変わっていくのでしょうか?

そのAIやプログラムと共存していくために、どうやって価値観を共有していけばいいのかを考えるべきだと思います。以前、水泳の国際大会で記録の良くなるスイムウェアが禁止されたことがありました。じゃあ、みんな素っ裸になればいいのかというとそれは違うし、競技をする上での生の身体ってどういうものだって話になりますよね。

同じ理屈で、生の頭脳ってなんだという話になると、だったらコンピューターを使わずに計算したほうが偉いのか?みたいな馬鹿げた話になってしまいます。これはバイアスの根深さと同じような問題で、どちらがレギュラーでどちらがエクセプショナル(特別)なのかを考えた方がいいわけです。

人間が新しい価値観をどう作るのか、世界の見方を変えてどう考えるのか。これはもう「新しい言語を作る」行為に等しく、これからの時代において必要なことだと思っています。

「今」を肥大化させるには何が必要なのか

――テクノロジーの発展によって、人間は「暇な時間」が増えるとされています。今後、私たちの活動のなかで、不要となり短くすべき時間と、人間が関わり長くすべき時間が出てくると思うのですが、それについてどう考えられていますか?

面白いですね。身近な例だと、大学の会議がオンラインになったのはすごく助かっています。年配の方はその場に集まることの重要性を主張しますが、本当にナンセンスですよね。あと、コロナ関係で一番明らかになったのは役所関係の手続き。紙で提出させようとすることが多くてひどいものです。全部ウェブで完結するようにすればいいのに。

既得権益を守ることばかりに目が向いてリスクを取らずにいると、イノベーションは起こりません。それどころか、このままではいろんなものが滅んでいってしまいます。革新的なアイデアを潰すことで生き延びようとする勢力をいかに排除するか。これは関わりを短くすべき時間だと言えますね。

対して、長くなったら良い時間は「今」です。過去の履歴とか未来の計画って、昔だったらみんな忘れて誰も参照しないのに、過去や未来はネット上やスケジュール帳などですぐに参照できる。過去や未来がものすごく集まっているわけです。決められない未来と忘れられた過去ばかりというのは不幸なことでしょう。

どうすれば「今」を肥大化させられるのか? 簡単に言うと、過去を忘れて、未来にスケジュールを入れないことです。でも、何もやることがない時間をみんなは怖がる。だから未来のスケジュールをがんがん入れるし、昔のことも集めてしまうんです。

先日、高野山に行ったのですが、東京から6時間もかかるんですよ。でも、手間と時間をかけないとどうしても行きつけない場所に行くという行為こそが、「今」を作ることなんじゃないかと僕は思います。

――コロナ禍でテレワークが普及し、オンラインで外部と繋がりやすくなりました。その結果、池上先生も以前よりスケジュールが詰まりやすくなったと思います。ご自身の生活環境として「今」の時間を増やす工夫はされているのでしょうか?

以前、友人に言われたのですが、「自分の時間」という項目をスケジュールとして、ちゃんと書きこまないと絶対にダメだと。だから、仕事のスケジュールと同じように、自分の時間もちゃんと書くようにしています。それをやらないと、あっという間に時間が埋まってしまうんですよね。実行するのはなかなか難しいんですけど。

あと、1年に1回だけ針が進む「1万年時計」って知っていますか? 優れた時計というと、0.0001秒もずれないようなすごく精密な時計と考えがち。でも、本当はそんなもの誰も必要ない。細かい秒針を打つのは、今がすり減っているということです。これに対して、一万年動き続ける「1万年時計」を作るのは難しい。一万年時計はものすごく肥大化した今を表している。その考えが素晴らしいなと思って、だからこそ「肥大化させた今」が必要だと考えるようになりました。

進化論や情報科学が新しいコンピューターを作る

――最後に、2040年を見据えた質問をさせてください。メディアやコンテンツ、あるいはもっと身近な環境など、今後どんな新しいものが出てきたら、世界は面白くなると思われますか?

いまから60年以上前にJames Lovelockによって提案された「ガイア仮説」というものがあります。空間や時間、生命や非生命など、みんなが水と油だと思っているものを俯瞰的に見ると、大きなひとつの世界として捉えられるという考え方で、地球を自己調節能力を持ったひとつの生命体とみなす仮説です。ここから考えられるシステムは、今後かなり再注目されていくでしょう。

ガイア仮説を突き詰める上で必要とされるのは、生態系と情報理論です。この2つは一見すると無関係に見えるかもしれませんが、実はそこを結びつけると新しいガイア仮説が生まれてくるかもしれない。これが先ほど話した「肥大化させた今」に繋がればいいなと思って日々研究しています。

20世紀は物理学や分子生物学が中心でしたが、21世紀は進化論や情報科学などを真剣に組み合わせて考える時代になってきた。だから、それに関わるようなシステムをベースに研究することで、これからの新しいコンピューターそのものが作られていくのではないでしょうか。

例えば、人間の脳は何かを食べたり日々生活したりすることで動くシステムです。そのようなシステムをベースにした新しいコンピューティングをもっと発展させるのが、僕が大学院生の頃から抱いている夢なんです。今までにない機械を作ったら、それに付随して新しい哲学が生まれるかもしれないし、今を肥大化させる助けになるかもしれないと思っています。


2021年11月15日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 冨永直基
編集協力:有限会社ノオト

※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。