AIによりクリエイターの裾野は拡大、業界は活性化? Merlin Japan 野本晶氏が予見する未来の音楽業界とビジネス

博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所は、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を洞察することを通して、メディア環境の未来の姿を研究しています。少子化・超高齢化社会が到来する中、本プロジェクトは現在各地で開発が進められているテクノロジーの盛衰が明らかになるであろう2040年を念頭に置き、各分野の有識者が考え、実現を目指す未来の姿についてインタビューを重ねてきました。

未来の音楽ビジネスは、どのように変貌を遂げているのか。常に音楽業界の最前線に立ち、日本の音楽配信サービスの立ち上げから関わってきた野本晶氏に、日本と世界の音楽業界の違いや音楽ストリーミングサービスの未来、音楽ビジネスの今後についてお話を伺いました。

野本晶(Akira Nomoto)
Merlin Japan株式会社ゼネラルマネージャー
大学卒業後、ソニー・ミュージックエンタテインメントに入社。その後ゾンバレコードジャパン、ワーナーミュージックを経て、2005年iTunes株式会社に入社。iTunes Storeの立ち上げに参加したのち、2012年にSpotify Japan株式会社へ移籍。Spotifyのローンチから日本展開までを牽引した。2019年、Merlin Japan株式会社のゼネラルマネージャーに就任。

「世界が躍進する裏で、伸び悩む日本の音楽業界

――現在、音楽サブスクリプションサービスはどうなっているのでしょうか。何か課題はありますか?

世界を見ると、後ろ向きな部分はあまりありません。CDは市場からなくなりつつありますが、ストリーミングの売上が大幅に伸びていて、音楽業界全体の収益は増加に転じているからです。

一方、日本でも、CD売上が落ちて、デジタルの売上もある程度伸びています。しかし、トータルで見ると売上は下がっています。この原因はシンプルで、例えばSpotifyのユーザー価格は月額9.99ドル/ユーロ/ポンドで、日本円にするとだいたい1,400円です。それに対して、日本では月額980円。この時点で、売上金額に大きく差がついています。

それと、世界では、自国のユーザーにしか売れなかったCDからストリーミングサービスに移行したことによって、国外からの収入が大きくなり、売上が伸びました。しかし、日本は、海外比率が他の国に比べて圧倒的に低い。もちろん日本語の壁もありますが、外貨獲得への意識が低いのが原因でしょう。

例えば、韓国は市場が非常に小さい。国内だけだと、スケールの限界が見えてしまいます。だから、アメリカを目指したいというモチベーションが湧く。日本は、国内の売上がそこそこあるので、これまではそれほど海外に真剣にならなくてもよかったんです。また、韓国はレーベル機能とマネジメント機能を兼ね備える一体型の会社が強いのですが、日本は分かれている会社が多い。

残念ながら、ここの連携がうまくいっていないチームもあります。このあたりが、世界と比べたときの日本の課題ですね。

――最近は、日本でもマネジメントもするレーベルも増えてきています。このような業界再編は、今後数年でもっと起こっていくのでしょうか?

すでに普通に起こっていますね。例えば、収益をアーティストに100%還元するというメッセージを出している音楽ディストリビューションサービスがあり、2021年には70億円ほど還元したと発表されていました。

しかし、この数字はレコード協会が発表している数字に現時点では入っていません。統計上は日本の音楽業界の売上が下がっているように見えても、実は統計に入っていない、アーティストにダイレクトに支払われた売上も存在します。こういったお金の流れの変化はどんどん進んでいくでしょうね。

また、1アーティスト1レーベルのように、この何十年かでレーベル数は千倍万倍と増えていくと思います。もちろんメジャーレーベルはマーケティングやファイナンス部分をサポートしてくれるし、アーティストたちはそういう強みを持ったところと一緒に仕事をしたくないわけではありません。

ただ、日本では新人アーティストがレーベルと専属契約すると、印税が1%から始まる場合が有り得ます。この条件だと、CDと比べて長いリクープ期間が必要なストリーミングではなかなか食べていけませんよね。こういう契約形態はこれからも続くと思うので、アーティストダイレクトの形が自然と増えていくでしょう。

とはいえ今は、地上波のテレビも日本では存在感はまだまだ大きい。そのあたりのマーケティングやタイアップとなると、メジャーレーベルはやはり強いです。いわゆるメジャーofメジャーなレーベルは、今後も必要とされるでしょうし、残ると思います。

AIによるキュレーションの多様化と、NFTによる音楽経済圏の誕生

――音楽ストリーミングサービスはレコメンドやプレイリストの作成など、AI技術との関連が深い分野です。今後、そのあたりはどうなっていくのでしょうか?

AIはすでに、人気キュレーターの1人です。人が作っているものを「エディトリアル」、AIが作っているものを「アルゴリズム」と呼びますが、これらをかけ合わせた「アルゴトリアル」という言葉があります。

アルゴトリアルは、人とAIが選んだ楽曲群の中から、人AIがユーザーそれぞれに異なる提案を行うというハイブリット型のやり方です。特にSpotifyで採用されることが増えました。AIは世界で一番音楽を聞いている存在なので、当然毎年インプット量が増えていく。すると、加速度的にAIの提案精度は上がっていきます。

各社は、AIの中身は企業秘密としてあまり公表をしていないのですが、すでにAIにいくつかの人格を持たせる取り組みを始めているようです。複数の人格を持ったAIが音楽サービスの中に存在することで、また別のキュレーションが生まれるという方向に動いていくのではないかと予想しています。

――音楽ストリーミングサービスのおかげで、ユーザーは無数の楽曲やアーティストに触れることが可能となりました。選択肢がこれだけ増えた今、音楽業界はユーザーの好みに合わせたレコメンド機能とセレンディピティを与える機能、どちらの方向へ発展していくと思われますか?

これは設計者の意思にも関わってくる話ですよね。Appleはどちらかというと、その人が好きなものをどんどんレコメンドしてくるイメージが強いです。一方でSpotifyは、セレンディピティを提案してくる。実は、ユーザーがSpotify内で1度も聴いていないけど好きかもしれないという曲を聴かせてくれる「Discover Weekly」のようなプレイリストが、海外では特に人気です。

日本は「このバンドしか聴きません」というように、アーティストについているファンが多いです。

同じアーティストしか聴かない原因は、国民性だけでなく、メディアによる影響も大きいと思います。日本は一部を除いて、メディアでも似たような流行りの曲をかけることが多いじゃないですか。そういう画一的なメディア体験が根底にあるのでは、という気がしますね。

アメリカだと、かつてはブルース、ロック、ヘビメタなどジャンル分けされたラジオステーションがあって、好みに合ったステーションを聴くことでそのジャンルを好きになっていく人が多かったんですよ。

音楽ストリーミングサービスが出てきたことによって、日本でもようやくそういう音楽体験ができるようになった。その中から好きな楽曲やアーティストをすぐに選ぶことはないかもしれませんが、流れてきて「あ、好きかも」と思うことはあるのではないかと。日本でも、今の10代はそういうふうに傾向が変わっている。彼らが50代くらいになる頃には、日本の音楽の幅は広がっているかな、と思います。

――音楽ビジネスの中でも、ライブストリーミング配信やNFTの使用など、ポストサブスクの稼ぎ方が見られるようになりました。今後、サブスク以外にどのようなビジネスが普及していくと思われますか?

日本でも、「体験を売る」ということが様々なバリエーションで普及していくと思います。日本には紙の時代から、ファンクラブ的な組織はずっとあって、送られてくる会報やチケット先行を楽しみにする人が多かった。紙がいい時代もありましたが、今は違うフォーマットでできるようにもなっています。このファンダムの基本は残しつつ、体験の形式は変化しながらもすごく伸びるだろうなという気がします。

ちょっと飛んだ話ですが、日本では音楽ストリーミングサービスではそんなに儲からないという説があるんです。なぜなら、海外では10ドルくらいで売られていたCDが、日本では1枚3,000円ほどと単価が非常に高かったから。それで、その売上にストリーミングが追いつくためにはそれなりのスケールが必要になります。

今は日本円や米ドルで音楽ストリーミングサービスの対価をもらっていますが、今後はNFTで払うことになるでしょうね。音楽用の共通トークンで払ってしまって、現行の通貨にも換金できるならアーティストも暮らしていけるし、価値としてはそちらのほうが高いのではないか、と。このような音楽の経済圏を提唱する人は、近いうちに現れるのでしょう。しかし、現存のレーベルは現行通貨が大好きなので、新しいアーティストと始めるしかないですね。

そもそも、NFTを語る際に、日本円に換金できるか否かを考えること自体が古いです。もっと別の価値のあるものをもらえると考えられる人ではないと、NFTはうまく使えないと思います。日本はストリーミングだけでは足りない分の売上をカバーするような、新しいアイデアや追加の収入源などを考えていかないと、今の業界の規模を維持するのは難しくなっていくでしょうね。

音楽業界の歴史を、これからも変えていくのはユーザー

――楽曲の制作という面では、AIは今後どう関わっていくと思われますか?

レーベル側でそのあたりの領域を研究している人はあまり聞きませんね。僕も含めて、個人の芸術性にちょっと気持ちが傾きすぎてしまっていて、AIの作ったものは芸術性が低いのではと思っている節があります。

ただ例えば、寝る前に聴くようなピアノBGMのような、アノニマスでアーティスト性が低い音楽はどんどんAIが作ってしまえばいいと思っています。著作権処理までデジタルで自動的にできれば、ピアノカバーを瞬時に生成して発表することもできますし。ビックデータ的なもので権利処理ができるようになれば、そのあたりからAIとの関わりは進んでいくかもしれません。

――音楽業界には個人の芸術性を大事にする人が集まっています。その中へAIが参入したとき、「人間が作った」という意味や価値に変化は起こるのでしょうか?

変化は起こってほしいですね。特に日本語の壁は技術でブレークスルーしやすいところだと思います。多言語への翻訳なんて今でもできることですし。AIが芸術性も含めて歌詞を読み取るのはまだ難しいですが、そのあたりを拡張する可能性はすごく大きくなっていると思います。

人間はどうでしょうか。例えば、今もプリセットされている音源を使って音楽を作るアマチュアは多いです。何万通りも素材があるとはいえ、すでにお決まりの和音や楽器の音を使っているわけです。そういったことはAIもどんどんできるようになって、気分や雰囲気などで設定ができるようになり、個人の創作活動を助けてくれるようになっていくと思います。業界側の期待値としては、プロとアマチュアの境目が近づいて、音楽を作る人が増えればいいなと思いますね。

トラック制作ができなくても音楽が作れるのは、まさにヒップホップですよね。だから、若者を中心に世界中でヒットしている。ラップさえできたら、あとは何もできなくてOKですから。楽譜が書けなくても、作曲ができなくても問題ないから、プレイヤーの層が厚い。その中で売れるのはもちろん一握りですが、層が厚いからこそ優れた才能が出てくる、という感じです。

――最後に、2040年のメディアやコンテンツ領域はどのようになっていると思われますか?

音楽の聴き方やテレビの見方など全般において、UIがもっとシンプルになっていくと思います。究極、音楽ストリーミングアプリは再生ボタン1つしかないとか。それを押したら、自分が今本当に聴きたいと思っている楽曲がAIによって再生されて、それに外れがない。

今の音楽サービスはできることが多すぎて、最初はハードルが高い。今まで音楽サービスに触ったことない人たちも簡単に使えるようになったら、裾野はさらに広がるのではないかと期待しています。

これまでこの業界は、ユーザーが「こういうふうに音楽を聴きたいよね」との思いから変わってきたのだと思います。つまり、ユーザーが歴史を変えてきた。業界内でも、若いスタッフは自身がユーザーでもある。だから、色々なことに気付くのですが、決定権を持っていない場合が多い。だから、今はまだ会社やサービスの方針になかなか影響を与えられないですけど。

現実的に考えると、残念ながら業界のビジネス規模は伸びないと思います。保守的なレーベルもある中で、他の国ほどのスピードでは成長できないでしょう。その代わり、メタバースなどからいろいろな場所で新しいプレイヤーが生まれてくるはずなので、業界は活性化しているのではないか、と期待しています。


2022年1月7日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 冨永直基
編集協力:有限会社ノオト

※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。