人間はいずれ種としての寿命が来る? 立命館大学大学院教授・松原洋子氏が予見する人類の未来と生命倫理

博報堂DYメディアパートナーズのメディア環境研究所は、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を洞察することを通して、メディア環境の未来の姿を研究しています。少子化・超高齢化社会が到来する中、本プロジェクトは現在各地で開発が進められているテクノロジーの盛衰が明らかになるであろう2040年を念頭に置き、各分野の有識者が考え、実現を目指す未来の姿についてインタビューを重ねてきました。

バイオテクノロジーは、2040年の生命のあり方をどう変えるのか。優生学を始め、バイオテクノロジーや医療、それに伴う倫理・社会問題を専門とする立命館大学大学院先端総合学術研究科教授・松原洋子さんに、生命としての人間と多様性、そして生殖のあり方の未来について伺いました。

松原 洋子(Yoko Matsubara)
立命館大学大学院先端総合学術研究科教授
筑波大学第二学群生物学類卒業後、東京大学理学系研究科修士課程、お茶の水女子大学人間文化研究科博士課程を修了。2002年に立命館大学産業社会学部教授に就任し、2003年から現在まで立命館大学大学院先端総合学術研究科教授を務める。2019年に学校法人立命館の副総長・立命館大学副学長に就任。専攻は科学社会学、科学技術史、ジェンダー、生命倫理学など。

「障がい者の人権尊重」という認識が薄い日本

――未来を考えるには、生命のあり方を考えることも重要だと考えています。生命に関わる研究をされている松原さんの今の興味・関心領域を教えてください。

これまで、生命科学や医学と社会との間に横たわる倫理的問題を歴史的観点から検討してきました。

私が高校生の頃、遺伝子組換え技術が開発され、バイオテクノロジーが人類の未来にもたらす社会的インパクトが注目されました。しかし当時日本では、そのような課題を学問的に扱う分野はありませんでした。その後、生命科学や医療と社会、文化、倫理などの関係に関心を持ち、優生学にたどり着きました。優生学の歴史は、大学院生の頃から追っています。最近注目された強制不妊手術問題などの歴史的背景も関心領域です。

もう1つ、障がいを持つ方々が生活するための技術「アシスティブテクノロジー」にも興味があります。電子書籍の自動音声やアプリ、電子図書館のアクセシビリティに関するプロジェクトにも参加していました。

――日本では、障がい者のための製品はあまり話題になっていないように感じます。海外と比較していかがでしょうか?

おっしゃる通り、日本では多様なユーザーに配慮したユニバーサルデザインが普及していないように見えます。しかし、テクノロジーの観点ではすでに達成可能なことが多いのです。問題は、法的なバックグラウンドや社会環境、商習慣などが足かせとなり、技術のもつ可能性が発揮されていないことです。

もちろん、人々が障がいについて無知であることも要因の1つです。例えば、視覚に障がいがある人で点字が読めるのは、1割程度と言われています。点字は修得するのに訓練が必要で、すらすらと理解するためには時間をかけてしっかりと学ばなければなりません。しかし実際は、中高年で視力を失う人が圧倒的に多い。そうなると、すでに身につけた日本語の読み書きのレベルで点字をマスターするのはとても大変です。今では自動読み上げソフトを活用して読み書きをする視覚障がい者が、たくさんおられます。

それに日本では、それぞれ独立した人格をもつ障がい者が、一市民として社会参加するのは当然だ、という認識が薄い。だから、障がい者に対して「優しくお手伝いしましょう」みたいなアプローチになりがちです。障がいの有無にかかわらず、その人にふさわしい方法で、できることを実現していく権利がある、という観点が必要だと思います。

ゲノム情報で内なる生命史を楽しむ

――優生学や生命倫理学の観点から、社会のあり方は2040年までにどう変わっていくと思いますか?

まず2040年には、当たり前のように人々が自分のゲノム情報にアクセスできる状態になっているのではないでしょうか。今から20年前は、30億塩基対があるヒトゲノム情報をすべて解析するのに莫大な時間とお金がかかりました。しかし、今はかなり短縮されコストダウンしています。

一般的に、ゲノム=遺伝子とイメージされる方が多いんですが、いわゆる遺伝子として機能しているとわかっているのはゲノムのごく一部です。それに対して、ヒトゲノム情報は30億塩基対すべての暗号のことを指します。つまり、ゲノム情報と遺伝子情報はイコールではありません。また、ゲノムの配列は人の一生で変化しませんが、遺伝子の働き方をコントロールする「エピゲノム」という仕組みは、環境条件によって変化します。

生物の形・機能・行動などは1つの遺伝子が1つの特徴に対応しているわけではなく、特徴のほとんどは様々な遺伝子の相互作用と環境との関係によって現れ方が変わってくるのです。

我々は今、健康診断で血液検査や尿検査を日常的に行っていて、その情報を元に病気を予防・治療していますよね。それと同じように、ゲノムやエピゲノム情報を利用して自分の状態をチェックできるようになるのではないでしょうか。

それと、もう一つはバイオハック。世界では、ラボや大学、企業に所属せず、自宅のガレージで個人がゲノム編集などバイオ技術をつかった生物改造をやってしまう事例がすでに出てきており、アメリカでは大きな話題になっているんです。パソコン開発の初期に、ガレージであれこれ開発をやっていたのと同じですね。

アメリカでは1960年代から1970年代にかけて消費者運動のひとつとして、患者の権利運動が起こりました。その頃は、カウンターカルチャームーブメントの中で、権威に物申すという風潮があったんです。そこにフェミニズムやウーマンリブも相まって、自分の身体を医者任せにせず、自分の身体を知り、自分でマネジメントしよう、と考えた。バイオハックの中には、そういう市民権運動的なマインドも入っています。

現代では、スマートウォッチでデータトラッキングや数値化をしていますよね。それも医者に自分の身体を任せっきりにせず、自分で把握していたいという思いがあるから。ゲノムも同じで、医療業界や製薬企業が独占しているゲノムやエピゲノム情報を自分たちのもとに引き戻して、利用していく。もちろん危険もありますが、そういった流れは出てくるだろうと思います。

――結婚相手のマッチングなどにも、個人が所有するゲノム情報を利用する流れになっていくのでしょうか?

そういった情報を結婚相手選びなどに利用したい人は必ず出てくると思いますし、そのような人々にとって子どもを作る局面では、どういったゲノムを持っているかは重要なポイントになりますよね。

しかし、それらのゲノムがどう働くのかを左右するエピゲノム情報ってとんでもない量で、環境の影響もうけますしかなり複雑なんですよ。この遺伝子配列だからあなたは高血圧になりますよ、では済まないんですね。結局のところ、ゲノム情報は実際に現れてくる性格や好みとそんなに簡単には結びつかないんです。

ただ、人はあまり複雑なことに関心は持ちにくい。そうなると、より単純化されたサービスが提供されるのではないでしょうか。すでに遺伝子解析ビジネスの中には、ほぼ占いのようなサービスもありますよね。

しかし、このゲノム情報が仕事のパートナーや人事にまで利用されてしまうと、人権という観点から問題が出てきて、法的な規制が必要になります。規制がないままだと、いろんな危ないことが起こりえますから。

――ゲノム情報によって人間の才能や限界がわかるのではないかと聞いたことがありますが、現実的な利用はなかなか難しいんですね。

そうですね。わかりやすく単純化したいという欲望から、血液型などの情報も人の性質の分類に容易に使ってしまわれています。しかし、ゲノムやエピゲノムの研究が進めば進むほど、そのような決めつけはできなくなってきたわけです。今後も、そういった単純化されたものを信じる人と、複雑なものを複雑なままで理解する人とのコンフリクトは、ずっと続いていくでしょう。

ゲノム情報の楽しみ方としては、自分のキメラ性を見ることではないでしょうか。例えば、現代の人類のゲノムにはネアンデルタール人の遺伝子が入っている、レトロウイルス(生きた細胞に入り込み遺伝子に影響を与えるウィルス)の感染歴が入っている遺伝子が哺乳類の胎盤形成に不可欠なものだった、など。それらは単なる痕跡ではなく、人間にとって決定的に重要な遺伝子も含まれることがわかってきています。

自分の身体は、想像以上に複雑でダイナミックな生命史の最先端にある。そういった観点が、もっと広がってほしいと願っています。

ゲノムやエピゲノムの研究を通じて、生命としての人を再発見することで、自然界における人間のパラダイムシフトが起こるはずなんです。そうすれば、生命史の産物としての人体であるという認識や自然の中でのポジションについて知恵や多様性への謙虚さも磨かれてくる可能性がある。私はそこに希望を持っています。

今の自然妊娠が「自然」ではなくなる

――将来、バイオテクノロジーがさらに発展した際、生殖のあり方にはなにか変化は起こるのでしょうか?

現生人類であるホモサピエンスが誕生したのは、20万年〜30万年前と言われていますが、いずれ種としての寿命が来て、絶滅するときがきます。いろいろな理由がありうるのですが、その一つは生殖能力です。

通常、生殖細胞はガードされていて、レトロウイルスに感染してもあまり影響はありません。しかし、そのガードを破って不妊化させるという変化がいずれ起きるかもしれない。それでもホモサピエンスを残すために、バイオテクノロジーを介在させることも起こりうると思います。

一方で、生殖技術の話もあります。今いわゆる「ゲノム編集ベビー」を生み出していいのか、という議論がされていて、現状はやってはいけないことになっています。ただ、将来的にはゲノム編集で子どもを生み出すことは、実現する可能性があります。専門的な研究者の世界では、倫理問題も含め、きちんとコントロールしながら研究を進めていくことになっています。

生まれる前の胚の段階で遺伝子改変を行い研究すること自体は、比較的ハードルが低いでしょう。しかし、その胚を子宮に移植するには、倫理面・安全面で条件をクリアした臨床研究が必要です。しかも、これから生まれてくる子どもに対する実験なので失敗は許されませんが、規制の網を抜けてどこかで実行されてしまうかもしれません。さらに、それが人という種全体に重大な影響を及ぼすのではないかという議論もあります。

もう1つ、倫理的なハードルになっているのは、才能や体力や知能指数など通常以上の能力を持たせてもいいのかという、エンハンスメントの問題です。ゲノム編集の精度が上がって技術的に安全性が確保され、コストが下がれば、ちょっとしたクリニックでも行われてしまうかもしれない。

例えば、日本では代理出産は認められていませんが、医療ツーリズムのサービスを使えば他国の代理母に依頼者夫婦の胚を移植して、子どもを得ることはできる。このように、隙間を縫ってサービスを受ける人は必ず出てきます。そういった意味で、ゲノム改変された子どもは生まれてくるだろうと思います。

――代理出産などの議論もありますが、生殖における女性の負担はいまだ非常に大きいままです。バイオテクノロジーでそのあたりは改善されていくのでしょうか?

マイクロキメリズムという現象があります。妊娠中の母親と胎児はお腹の中でお互いの細胞をやりとりしており、出産後もそれぞれの身体に互いの細胞がわずかとはいえ存在するというものです。ということは、代理出産でお腹だけ借りているつもりでも、生まれてきた子どもの身体のなかに、代理出産者の細胞の痕跡が残ることになります。

そうなると、子どもの質を追求するために遺伝子改変だけではなく、着床後から生まれるまでのプロセス全てをコントロールしたい人も出てくるかもしれません。それを徹底する方法としても、人工子宮や人工胎盤などの技術が進んでいくと思います。

また、iPS細胞からつくられた精子と卵子を使って受精させ、それを人工子宮で管理していくといった流れも起こりうるでしょう。もちろん安全面や倫理的な問題はあるのですが、正確性や予測可能性を高めることを優先すると、この方法に行き着くと思います。ただし、管理責任が大変重くなり、コストもかかります。

人類の歴史では、男女の交わりを経て女性が妊娠・出産する以外に生殖の方法がなかった時代が長く続きました。しかし現在では、男女の交わりを経ない人工授精や体外受精だけでなく、卵子提供、代理出産、提供された胚の子宮への移植など、生殖技術により生殖の役割が断片化され、生殖医療によって再編されて子どもが生まれています。生殖過程のダイナミズムを総合的に見ながら、2040年にかけて生殖の哲学を立て直すことが問われていくと思います。

同性カップルも実子が持てる?

――恋愛から性行為まで全てバーチャル空間で可能となった際、生殖も人工的に行えばいいという声もありました。一方で、産む苦しみは消えないのでは、と思っていたのですが、そこも解消されていくのでしょうか?

そうですね。むしろ女性の妊娠・出産の負担が自明のものとして棚上げされていること自体、ジェンダー構造に関わる問題だと思います。

例えば、ゲノム編集ベビーの是非を議論するとき、生まれてくる子どもや人類全体の話はするのですが、そのゲノム編集ベビーを産む女性の負担への配慮は、心のケア程度にしか扱われない傾向があります。

今までは、生殖において女性の貢献にあぐらをかいてきていた部分がありましたし、女性自身もその点を強調すると母性神話の罠に陥るという難しい問題がありました。しかし現在、それを突破するフェミニズム経由の生殖哲学が、最新のテクノロジー状況を参照しながら議論されています。

また、iPS細胞から卵子・精子を誘導して子どもを作るとなると、同性カップルも2人の遺伝子を組み合わせた実子を持てますよね。今までと全く違う生殖になるので倫理的なハードルは高いですが、新しい生殖のあり方が模索されている中で、やはりこの流れは起こってくると思います。

こういうことを言うと、そういった技術をどんどん使っていいのだと思われてしまうのですが、倫理的な問題は、並行して起こり続けます。すくなくとも、まず臨床研究が倫理的に成立しうるのかは、厳しく問うていかなければなりません。

――同性カップルが子どもを持てたり、人工子宮によって女性の負担が軽減されたりする未来が実現したら、世界が抱える人口減少問題は解決に向かっていくのでしょうか?

出生率を上げるためには、福祉的・医療的なサポート環境を整えることが重要です。生活が高度化し洗練されてくると、子どもの数が減る傾向にあります。さらにバーチャル化が進むと、人口はもっと減少していくと思います。そもそも産む理由がないよね、というふうに。

例えば、子どもが生まれ続ける社会を考えたとき、人工子宮はもしかすると1つの解決策になるかもしれません。しかし、子どもの質にこだわりすぎると、怖くてそんなことできなくなる。だからむしろ、身体的には大変だけど自分で妊娠して出産するほうが、葛藤がなくてよほど楽だと感じる人も出てくるでしょう。

高齢になるほど妊娠しづらくなる傾向があり、出産も大変になります。でも、だからといって若いうちに妊娠出産すると、キャリアに不安が残る。生殖技術のみに頼らずに、出産とキャリアが両立できる社会を追求していくことが大切なのではないでしょうか。

出生前診断の普及からわかるように、妊娠出産をめぐるプレッシャーは、女性にとってますます大きくなっています。身体的・心理的、そして社会的に難しさを抱えている人でも、安心して妊娠出産できる仕組みを広げていくことが、実は人口減少問題解決の近道なのかもしれません。


2021年11月22日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 小林舞花
編集協力:有限会社ノオト

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