どうやってAIとうまく暮らしていくのか? 東京工業大学教授・柳瀬博一氏が考える人間とAIの関わり方のこれから

博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所では、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を踏まえ、2040年に訪れる未来の姿を予測すべく、各分野の有識者にインタビューを重ねてきました。

メディア論を専門とする東京工業大学教授・柳瀬博一教授には、2021年12月に、今後、人々や街、メディア、コミュニケーションのあり方がどう変わっていくのかお聞きしました。

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しかしながら、対話型AIや画像生成AIなどが想像を超えるスピードで進化しはじめている昨今、改めて私たち人間はAIとどのように付き合っていけばよいのかという問いをアップデートする必要を感じています。2023年3月に柳瀬教授に、今後の人間とAIの付き合い方についてもう一歩踏み込んで考えをお伺いしました。

柳瀬 博一(Hiroichi Yanase)
最東京工業大学リベラルアーツ研究教育院・教授
日経マグロウヒル社(現・日経BP社)で記者や書籍編集者の経験を経て「日経ビジネスオンライン」の開発に携わり、広告プロデューサーに。2018年に東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の教授に就任。著書に『国道16号 「日本」を創った道』(新潮社)、『親父の納棺』(幻冬舎)がある。

AIは人間の脳を再現できても、ボディそのものにはなれない 

――そもそも、私たちはAIをどのように活用していくべきなのでしょうか?

いま、AIの話をするのは難しいですね。文字通り日進月歩なので1週間経ったら事態が変わっている。このインタビューの内容もそのおそれが十分にある。それを前提にお聞きください。

2023年春時点において、勉強をがんばってきた人たちほど、AI、とりわけこの春一気に普及したChatGPTのような対話型AIを怖がっている印象があります。AIは24時間365日、不眠不休で勉強している。究極の「ガリ勉くん」です。しかもその背後にいるのは人類が蓄積してきた膨大なデータベース。「ガリ勉くん」がそれにアクセスして、絵でも、動画でも、文章でも、誰よりも早く「答え」を出してくれる。

なんてことはない、これまで人間がやってきた行為そのままなんですが、データ量と勉強量が個人のレベルを瞬時に超えてしまった。だから勉強ができる人たちほどAIを脅威に感じてしまうのです。

一方で、AIを単なる道具として使っているのは、実際に体を動かしている人たちになるかもしれません。たとえば、トラック運転手の仕事は自動運転になっても荷物の積み卸し、集荷などの肉体作業は残ります。そのため、トラック運転に人間が完全に必要なくなることはほぼないでしょう。で、彼らはすでにAIが仕事をしているカーナビをがんがん使っていたりする。

海外では、旅行の現場などで翻訳ソフトを使ってガイドをしている人が普通にいます。あれもAIですよね。勉強に重きを置けば、自分で語学を勉強すべきですが、仕事で外国語を瞬時に使わなければいけなかったら、とにかくAIを活用したほうがいい、となる。まさにAIを道具として使っているわけです。

いま、ChatGPTを典型とする対話型AIがやっているのは「脳みそのAI化」ですね。データベースから質問に応じた「答え」を出す。ただし、人間は脳みそだけでできているわけではありません。「からだ」があります。「ボディのAI化」は、まだまだ進んでいません。今は「脳みそのAI化」の一部が一気に進んだだけです。

「ボディとしてのAI」の開発は、昔私たちが想像していたよりもはるかに難しい。ある作業に特化した専門のピッキングマシンのような機械や手術専用ロボットは開発できても、ピッキングする手で手術を行い、そのあと野球をやって、おなじ手で絵も描いて、料理もする。そんな人間の手=人間のからだのような万能で融通無碍な人工物はいまだに開発できていません。

鉄腕アトムも、ドラえもんも、脳みそのAIとボディのAIがセットになったロボットですが、アトムもドラえもんもまだ実現していないですよね。

――たしかに「ボディとしてのAI」と「脳みそとしてのAI」など、様々な違いを考えず、漠然とAIに対して危機感をもっている人も多そうですね。

いわゆるホワイトカラーと呼ばれる仕事の多くは、今後AIに取って代わられる可能性が非常に高い。そのため、「自分がやってきた勉強は、一体何だったんだ」と焦っている人々もいます。

しかし、そもそもAIの出現は必然的なこと。電卓が計算作業を人から奪い、コンピュータがさまざまな情報処理作業を奪い、いま対話型AIはデータベースから「問い」に対する「答え」を出す仕事を奪おうとしている。逆にいえば、そこまでです。

自動車の自動運転ひとつを取ってみても、いまの段階ではまだ完璧な走行はできない。実際に「ボディ」をともなう作業は、「人間」が不可欠です。AIは情報処理の部分までで、実際の「行動」は、人にゆだねられている。

たとえば、台風が来たとき、どこに水土砂災害が起きるかなどの、精緻なデータを出すシミュレーションはかなり進んでいて、まさにAIでないとできない領域。

ですが、その水土砂災害を未然に防ぐために土嚢を積んだり、実際に起きた場所で人命救助をしたりするのは、だれがやるのか? 土木機械などを活用しながら、大半の作業は人間がやらないと無理です。ボディのAI開発と脳みそのAI開発のスピードは桁違いに異なるのに、この点をごっちゃにしているところがある気がします。

※2023年5月29日追記:ちなみに頭脳労働者がいらなくなり、肉体労働が残るというのは、米オープンAIと米ペンシルベニア大の研究者らとの共同調査でも明らかになっています。

出典:朝日新聞DIGITAL「生成AI、高収入ほど影響『3億人分の仕事自動化』 米で分析・予測(2023年5月27日)」

AIの仕組みを理解した上で、ビジネスや法の基盤を整える

――これから、私たちはAIをどのような存在だと認識していくべきでしょうか? 

AI自体は主人公でもなんでもないと思います。たとえば、ChatGPTでテキストを書いたり、Midjourney(ミッドジャーニー)で絵を描いたりしているのも、AIは「こうしたらどうですか?」とこちらの「質問」に答えてくれるだけ。さらにその答えをベースに手足を使ってなにかをするのも、あるいはAIがつくったコンテンツを目で見て耳で聞いて「面白い」と判断しているのも僕たち人間ですから。

電源を切ってしまえば、AIは「ただの箱」。そこに入力するセンサーはまず人間の眼や耳です。もちろん機械で代替できますが、最初に見る聞くは人間の仕事です。さらに出力系の筋肉があって、初めて何かができるし、できたコンテンツを楽しめるのは、人間自身の入力系でそのコンテンツを摂取した人間の脳みそのほうです。

ただ、僕はAIを否定しているわけではないです。むしろ積極的に使うべきだと考えています。

歴史の中で街道が鉄道に変化したり、馬が自動車に取って代わられたりした影響で無くなった仕事があるように、今後も同じように無くなる仕事がたくさん出てくるでしょう。でも、それは今に始まった話ではなく、前からあった現象です。

現在は、人力仕事が工業システムに置き換えられるときに起きたラッダイト運動のとき以上に、言葉を持つ仕事、脳みそを使う人たちに変化が直撃している。だから、「AIが怖い」という定説が拡張している。

AIそのものの進歩は不可逆的で、どんどん進んでいき、桁違いに頭が良くなっていく。それを前提に、AIをうまく使って、どうやって暮らしていくのかを考えるフェーズに入っていると感じます。

――私たちがAIの仕組みを活用するために必要なことは何でしょうか?

この半年間、ChatGPTをはじめとした対話型AIが日に日にすさまじいスピードで成長しているのを見て、僕たちは初めてリアルにAIに敵わないことがあることを痛感しましたよね。しかも、今は入口に立ったばかりで、さらにもっとAIの頭が良くなることも分かっています。

一方で、AIは「パクる」という話があります。でも、これは人間がやっていたことをAIもやっているだけということ。我々人間は、マンガや映画、アニメ、小説にしても、誰かが作ったものを参考資料にしてきました。過去の参考データを持ち出して、編集してコンテンツを作るというのは、人間が散々やってきたことなのです。

だから、「パクる」話は時間が解決してくれる問題でもあると考えています。解決方法はいくつかあります。1つはこれからあらゆる情報に著作権のタグを付けていき、二次利用された場合にお金が自動的に払われる仕組みを作ること。もう1つは、最初からタグ付けされていないデータでも、「オリジナルはこちらだから著作権を払ってください」と言われたら、後からお金を払ってもらう仕組みを作ることです。

今のAIは加減を知らずに「パクる」から問題になっているのであって、これからどんどんその具合も洗練されてくるでしょう。そうすると、どこからどこまで影響を受けたのか、線引きが難しくなってくると思います。

AIは必ず既存のデータを元にしているので、オリジナリティがない。でも、それはこれまでの人間のコンテンツだって同じです。今後は、それを前提としたビジネスモデルや法整備をすることが必要になってくるのではないでしょうか。

人間の本質的な認知レベルは進化しない

――加減は調整されつつも、AIがパクるのが前提となった場合、クリエイティビティはどうなっていくと思われますか?

クリエイティビティとは、もともと編集、エディトリアルだと僕は思っています。AIが得意なのは、ディテールを詰めたり膨大なデータベースから適切な情報を集めてきたりする部分だと考えています。

コンピュータの利用でクリエイティビティのレベルが圧倒的に上がったのは、アニメーションです。コンピュータはクリエイターの本質的な編集能力を積極的にサポートしてくれています。同時に日本のアニメーション市場も成長していて、NetflixやAmazon Primeなどの世界のマーケットへどんどん広がっています。そして、いま背景美術を発端に、画像生成AIのアニメーション現場での活用が進んでいます。

コンピュータが導入され、AIが活用されても中心にあるのは、原作者の漫画家、編集者、アニメーション作家のクリエイティビティ、つまりアイデアとエディトリアルの力だと思います。

――アニメやマンガを見る感覚で、エンタメコンテンツとしてバーチャル空間を楽しむ使い方がある一方で、メタバース空間の中で生活する、コミュニティを形成していく使い方もあると思います。後者の場合、人間はどういう存在にリアリティを感じていくようになるのでしょうか?

どこにリアリティを感じるのか、実際のところ現実になってみないと分からない、予測するのが難しい領域ではあります。ですが、忘れてはいけないのは「人間そのものはなかなか進化しない」ということです。ホモ・サピエンスが登場した30万年前と今の私たち、おそらくDNAレベルではたいして変わっていないはずです。

人間は、主に視覚と聴覚で認知し、音声言語によって世界に名前をつけています。その名前をつけた情報を物語の形式で受発信することで、認知・記憶・コミュニケーションしています。また、大脳皮質のサイズから、顔と名前とキャラクターが一致して仲良くできる人数は、おおよそ1人あたり最大150人と言われています。

進化生物学者、ロビン・ダンバーが提唱した「ダンバー数」ですね。古代の共同体から現代の組織まで150人を上限とする「村」は、私たちの脳内にあり、SNS企業もダンバー数を利用して戦略を組み立てていたりします。

――人類は何億年もかけて、現在の状態まで進化してきました。だからこそ、認知能力が簡単に変化すると考えるのは難しいのですね。

自分が積極的に関わる人々を考えてみましょう。従来で言うと、家族、地域社会、勤め先や学校、あとはサードプレイスかフォースプレイスを合わせて関われるのが150人。

これらの代わりにメタバース空間上の友だちが入ることもあります。身体が伴わない分150人より多くと関わりが持てるものの、認知レベルだとこの上限は本質的には変わらないと言えます。

自分のメンタルと物理的な時間の問題を考えると、積極的に関われる場所は限られてくる。人間の認知レベルは孫の世代になっても変わらないということを念頭に置かなければなりません。

AIを友だちにすることで救われるマーケットが必ずある

――今後、人間はAIとどういった関わり方をしていくと考えていますか?

AIが代替してくれるのは、人間が嫌だと思っているけれどやらないといけないことです。反対に、AIから奪われる必要がないものは、仕事でも勉強でもなく、遊んで楽しいかどうか。『鉄腕アトム』や『ドラえもん』に象徴されるように、マンガやアニメの世界で人間は脳と体がセットになったAIと友だちになっています。

ということは、より精度が高くて知性があったら、我々はAIをキャラクター化して遊んだり会話したりする。キャラクター化するというのは、要するに友だちにすることでもあるのです。

高齢者介護や精神医療の現場など、AIが人間の友だちになることで救われるマーケットは出てくると思います。それはとても良いことではないでしょうか。

――先ほどの認知機能の話であったように、150人をベースに人間関係を構築していく社会では、日本全体共通の認識や感覚はなくなっていくのでしょうか。または、それらをつなぐものとして、現在のメディア、それとも全く異なる業態の企業が橋渡し役として機能するのでしょうか?

これは本当に難しい質問だと思います。経済の世界ではとっくに国民国家的概念は崩れていて、消費も生産も投資も全てのマーケットがグローバル化してしまいました。AIがその動きをさらに進める。

一方で、人間の認知能力は150人の村のままです。だから、会員数数十億のSNSを利用しつつも、そのなかで、数百万数千万数億人単位の「国民国家」的な集合はできない。無数の「150人の村」がいくつも存在する。それが仮想空間上のコミュニティの現実です。

今後、どういうコミュニティが持続可能な形としてありえるのか。これは仮説ですが、環境問題が絡んでくると考えています。環境は物理的存在なので、AI自身が急激な気候変動や巨大な雨風、あるいは突発的な地震や津波を防ぐことはできません。AIができるのはシミュレーション。予測される災害に対して提案はできる。予測そのものもできる。でも、AIそのものがソリューションの現場を担うことはできない。物理的な「手足」が必要となるからです。

――さきほどの「ボディとしてのAI」の話にもあったように、身体的世界において、AIはまだ力を行使できないということですね。

最終的に行使するのは、物理的な存在である人間とハードウェア=機械です。AIはどちらかというとソフトウエアを担っていて、ソリューションを出してくれるとても重要な存在ではありますが、直接的には力を発揮できない。

だから、世界を実際に人が暮らし、生き物が暮らす、現実の環境の単位でくくり、そこで人はどう住まうか、どう生きるかを考える。それが重要だと思います。河川流域の単位で地理を区分していけば、水害対策もできますし、自然保全も、まちづくりもやりやすい。こうした物理的な単位に沿ってコミュニティや社会を作っていく。そのプロセスの中で、AI徹底活用する。自動運転やドローンなど、AIを徹底的に駆使したロジスティクスサービスもキーになってくると思います。

AIはさまざま使い方がありますが、このように物流や交通の部分を刷新してくれることによって、特に日本においては最大の社会課題の解決要因になる。まず自分たちが暮らす土地、環境というAIに代替できない「リアル」を知ること。そして、私たち人間のどの部分がAIに代替してもらえるか、どの部分が人間じゃないとできないか、それを考えること。それがAIを実装した未来で生きるための「教養」になる、と思います。


2023年3月13日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 冨永直基
編集協力:矢内あや+有限会社ノオト

※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。