個人がレコメンデーションの傾向を選べる世界を目指していく TheirTubeの開発者・木原共氏が考える今後のコミュニケーション

博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所は、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を洞察することを通して、メディア環境の未来の姿を研究しています。少子化・超高齢化社会が到来する中、本プロジェクトは現在各地で開発が進められているテクノロジーの盛衰が明らかになるであろう2040年を念頭におき、各分野の有識者が考え、実現を目指す未来の姿についてインタビューを重ねてきました。

オランダ・アムステルダムを拠点とし、市民と先端テクノロジーを結びつけて社会変革を生み出すプロジェクトを手がける公的研究機関「Waag(ワーグ)」と様々なプロジェクトを手がけているデザイナーの木原共氏に、AIとの関わりにおいて重要なこと、コミュニケーション領域についての変化などを伺いました。

木原共(Tomo Kihara)
アムステルダムと東京を拠点に活動するデザイナー
社会に介入する「遊び」の観点で、テクノロジーと人間のより良い関係性を模索するメディアの研究と開発を行う。オランダのデルフト工科大学院のインタラクションデザイン科を修了後、アムステルダムに拠点を置く公的な研究機関Waagに参加。その後はMozilla財団などの国内外の組織と複数のデザインプロジェクトを共同で手がけている。主な展示にレッド・ドットデザインミュージアムでのソーシャルデザイン展(2020)などがある。

レコメンデーションの傾向を把握し、個人がAIを選べる時代を目指す

――木原さんが開発した「TheirTube」は、米国における保守とリベラルな思想、地球温暖化否定論者など6種類のペルソナに対して、YouTubeがどのような動画を表示しているか体験できるサイトです。これはどういった経緯で開発に至ったのでしょうか?

「TheirTube」では、まったく異なる人の情報環境を見せることで、視聴者側の見ている環境が相対化できるようになることを目指して、開発しました。

例えば、「日本はもっと移民を受け入れるべきか?」という問いに対しては様々な意見や立場があり、正解はありません。従来の新聞やテレビなどのメディアでは、とある社会問題に対する反対側も賛成側の意見も、偏りがあるとはいえ、バランスよく両方とも紹介する傾向があります。また、媒体を運営している会社や団体から、ある程度の政治信条なども読み取ることができます。

一方でAIのキュレーションでは、その人が過去に見た情報に近い情報が表示されやすいため、「移民は反対」と考えている人のYouTubeには、それに似た映像しか流れなくなってしまいます。一見、ニュートラルに見えるYouTubeなどのメディアが特定の思想に偏ることに気付けないことや、思想が先鋭化しやすいのが怖いなと思って、TheirTubeを開発するきっかけとなりました。

AIの中立性や公平性を証明するのは結構難しくて、そもそも何が公平かといった、とても哲学的な話になってしまいます。つまり、ほとんどの情報がレコメンデーション経由で表示されるようになった今のインターネットの世界で「完全に中立な情報」は殆ど不可能とも言えます。

――木原さんはオランダでも仕事をされています。海外では機械学習を取り扱うプロダクトを作る上で、国やジェンダーなどのバイアスを取り払う傾向になっているのでしょうか?

少なくともAIに関しては、特定の強いバイアスを持つことが良くないという声は出ています。ただ、人間がAIを作っている以上、何らかのバイアスを完全に排除するのは不可能で、どう考えてもバイアスは存在してしまいます。そのため、何らかの偏りが発生してしまうことを前提に、より透明性が高いシステムを作るための研究が世界中で進んでいます。

――バイアスが必ず発生してしまうことを前提に、機械との共存における大事なことは何だと思いますか?

大事だと思っているのは、いま自分が見ている情報のキュレーションを行っているレコメンデーションのAIの傾向を、全員が掴めるようにすることです。

しかし、現在はそれが殆ど見えていません。TwitterやInstagramのタイムラインで流れる情報も、誰をフォローするかで個人が管理できているように見えても、実際にはほとんどがアルゴリズムによって操作されています。

検索エンジンの結果も、検索をしたユーザーの位置や過去に見たもので大きく変化します。レコメンデーション自体は素晴らしい技術ですが、その情報を提供するまでのプロセスの不透明さが問題であると思っています。ユーザーのどの情報をもとに、どのような価値基準でレコメンドしたかの説明が求められるようになってきています。

この先、2040年に更にキュレーションが高度化したときに、ユーザーがAIの傾向を切り替えられるようになる技術が求められるようになるのかもしれません。

いまGoogleの検索エンジンを使うとき、ユーザーはどんな傾向で情報の一覧が表示されるのか選ぶことができません。例えばですが、今後は、最新の情報より信頼されたソースの情報を重視する研究肌のAI、最新のトレンドを重点的に拾う若者向けのAIのように、個人がそのように自分に合ったAIを選択していく。そのような価値を提供できるメディアが選ばれるのだと思います。

インターネットやテレビ以前の世界では、その役割を新聞が果たしていました。購読している新聞社にはそれぞれ違う方針があり、出す情報は異なりますよね。それと似た形で、自分がどういう情報をキュレーションして渡されるのか、選べるようにすると良いと思います。

「市民」という同じレイヤーでフラットに人々を繋げる

――木原さんが日本とオランダを行き来されるように、これから2拠点生活の人がどんどん増えていくと思います。2040年、人々は何を求めて町に住むのでしょうか。

やはり対面での出会いから持たらされる楽しさや信頼を代替することは、オンラインではまだ難しいと思います。面白い人たち、自分に合った人たちとの出会う場として町は残ると思います。多拠点生活が当たり前になる人が増えると、それぞれが今いる街で落ち合う、そのような出会いの仕方になるのではないでしょうか?

――この数年、人と人との繋がりはどう変化してきたと感じますか?

今は、皆が閉じた小さいコミュニティをオンライン上にたくさん作って、その中から出てこないようになっていると思います。少なくとも僕が観測している範囲だと、3~4年前までは皆、FacebookやTwitterなどにいろいろと情報をアップして、人と繋がっていました。ですが、あまりにも利用者が増えたため、ノイズが多すぎる状態になってしまいました。

そこで、DiscordやSignal、VRChatなどにそれぞれの部屋を作って、そこに入ってお互いに閉じた空間で交流するようになっているのだと思います。大体そのサイズも20~30人を上限としていて、かなり小さいコミュニティです。現状は、そうした「小さな村」のようなものがオンライン上にもたくさん出てきていると思っています。

――木原さんは、世論を可視化して議論を生み出す「ストリート・ディベーター」という職業を考案し、路上生活者の「物乞い」に代わる行為を提唱されていますね。これから価値観による社会の分断がどんどん進んでいくのかなと思いますが、そういった社会において、何が大切になってくるでしょうか?

欧州における路上生活者がこれまでにない方法でお金を得る方法について研究する中で、人は一度でも物乞いをすると自尊心が著しく損われ、自己肯定感の低下から社会復帰が難しくなることが分かりました。

そこで、物乞いをしなくても金銭を得られる代替行為として「支援する者」「支援される者」といった関係ではなく、道行く人々と路上生活者が平等になれる関係づくりを模索し始めました。そこから生まれたストリートディベートでは質問が書かれたボードと、それに対する2つの回答を書き込める天秤型のツールを使って、通りすがりの人々に投票を呼びかけます。

※ストリート・ディベートの様子

 

「ストリート・ディベーター」は、いわゆる「小さい村」にいる人たちが、まったく違う人たちと話してほしいという狙いもあります。どれだけ価値観が違おうが、持っているお金に差があろうが、「市民」というレイヤーでは皆同じです。そういった人たちをいかにフラットに繋げるか。それが大事なのではないかと当時は考えていました。

「常識」を丁寧に言語化し、それが本当に必要なのか考えていく

――デジタルコミュニケーションや技術の発達で、社会は細分化されていき、価値観もどんどん多様になっていく中で、常識はどのように形成されていくと思いますか?

日本に住んで生活していると、外からたくさんの人が入ってくることがあまりないので、言われなくても「常識のようなもの」は皆が持っていると思います。

例えば、「先輩・後輩」という文化。皆、そういう上下関係を小中高で経験して、その後、会社に入ったら、当然「上司・部下」の関係も「先輩・後輩」のような概念が当てはまるという思い込みがあります。日本は、まったく言語化をせずにそういった概念を共有しているのがすごいですよね。

しかしさまざまな文化的なルーツをもった人たちが暮らす国では全員が共通してもつ文化のようなものがあまりない。アムステルダムでは多くの人々が世界中から集まる都市であり、「複数の常識があることが常識」になっていました。だから、何に関しても言語化する傾向にあったように思えます

日本がたくさんの外国の人々を受け入れていく中で、今まで日本人が当たり前だと思って言語化してこなかったことを、丁寧に言語化して捉え直すこと求められていくと思います。

個人主義的に自分の気持ち、行動を優先すること

――リアルで会う機会が減った今、若者世代のほうが孤独を感じているという調査もあります。デジタルネイティブのはずなのに、なぜなのでしょうか? 日本は先ほどの「常識」がうまく使えなくなってしまったために悪戦苦闘しているようにも思えます。

それは確かにあるかもしれませんね。「察してほしい」という文化が、逆に孤独につながってしまうのは日本特有のことにも感じます。

オランダのように個人主義の国では、自分の思っていることを皆んなが主張します。例えば、会議の場で、部下が上司に向かって「いまのプレゼンの冒頭がわかりにくかったから直した方がいい」などを素直に言います。思ったことを包み隠さずにいうのが彼らなりの誠実さなのですが、日本だとそのような発言は場を乱すと捉えられがちです。また「会えなくて寂しい」といったことも男性や女性を問わず、積極的に伝えて会いに行く文化もあるように感じました。

皆が狭い空間にいて、お互いの顔色を見ながら場の雰囲気を読むことに慣れすぎている日本では、察すること、察してもらえることに慣れすぎているのかもしれません。

――最後に、2040年段階でメディアやコミュニケーションはどのようになっていくと思われますか?

AIがキュレーターとしてメディアやコミュニケーションに介入していき、人間がより質の良い情報を得られる状態が一般的になっていることを願っています。

具体的には、カウンセラーのような存在として、今の自分の心の悩みなどを丁寧に拾ってくれたり、自分が誤った情報をSNS上でシェアしそうになったら、それを指摘してくれたりするAIなどです。そういったものを個人としても開発していけたらと思っています。


2022年1月20日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 小林舞花
編集協力:矢内あや+有限会社ノオト

※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。