AIの台頭で「非認知能力」の価値が高まる コミュニティデザイナー 山崎亮氏が語る未来の地域社会
博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所は、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を洞察することを通して、メディア環境の未来の姿を研究しています。少子化・超高齢化社会が到来する中、本プロジェクトは現在各地で開発が進められているテクノロジーの盛衰が明らかになるであろう2040年を念頭におき、各分野の有識者が考え、実現を目指す未来の姿についてインタビューを重ねてきました。
「地域」の課題として、過疎化や高齢化、雇用の減少などがよく話題に上ります。デジタル化の進展は、人口動態や地域経済、まちづくりにどう影響するのでしょうか。地域課題解決やローカルコミュニティのデザインに取り組むコミュニティデザイナーの山崎亮さんに、今後の地域社会の変容、人々のライフスタイル・価値観のアップデートの可能性について話を伺いました。
「人と人がつながる」ことこそが、これからの重要KEY
――山崎さんがコミュニティデザイナーとして活動するきっかけについて教えてください。
私はもともと、ランドスケープデザイナーとして設計事務所で6年間働いていました。その時に担当していた公共施設づくりで、実際のユーザーではない市長や町長、担当者などの意見だけを聞いて設計することに、もやもやを感じたのです。そこで、実際に施設を使う地域の方々と一緒にデザインを考えるワークショップを開催しました。これが、今の活動のきっかけになっています。
コミュニティデザインは、ただ住民の意見を設計に反映させるだけの仕事ではありません。いくつかのチームを作って、住民同士のつながりを回復させ、人々が何か一緒に活動できるよう支援します。その結果、住民の方々が幸せそうに過ごせたり、健康になっていったりするところまでつなげる仕事です。
――ワークショップと聞くと、実際に集まることをイメージします。ここ数年のコロナ禍で、コミュニティデザインのスタイルにも変化はありましたか?
そうですね。コミュニティデザインの現場では、どうしても人が集まってしまうので、新しい方法を模索しなければならなくなりました。
緊急事態宣言が終わり、マスクをしながら集まれるようになってきた時に発見したのが、非同期型の対面ワークショップです。これは「会場を1週間ずっと開けておきます。好きな時に来て、他の人のワークショップの痕跡を見ながら自分も何かそこに書き残して帰っていってください」というものです。特に対面ワークショップは同期型が当たり前だと思っていたのですが、非同期型で行うという新しい可能性が生まれましたね。
オンライン/オフラインのハイブリッドもありだろうと思います。会場にモニターが置いてあって、僕がしゃべっているYouTubeがそこでずっと流れているとか、遠隔から会場にいるスタッフに対して、意見を代筆してもらって残すとか。
――個別の課題解決だけではなく、地域共生社会や地域包括ケアといったトータルアプローチにも取り組んでいるのでしょうか?
今、地域では包括的に取り組まないと解決できない課題が増えてきています。しかし、仕事としてご依頼いただくときは、どうしても個別テーマの解決を依頼されることが多いのが現状です。
そのため、ワークショップの参加者を集めるときには、あえて特定のテーマの色がつかない呼びかけ方をしています。例えば、福祉というテーマで依頼があったら、「福祉に興味がある人」を募集するのではなく、「雑誌作りに協力してくれる人」という切り口で人を集めました。この呼びかけ方なら、福祉に関係のない人も含めて参加してもらうことができますから。
そして、集まった方々でチームをつくってもらい、インフォーマルな社会資源を持つ人たちを紹介する雑誌を作るというワークショップをしました。その取材を通して地域を知る中で、今不足しているものが見えてきます。
これをきっかけに、2年目には、自分たちなりの社会資源になることを目指す活動を始め、3年目には地域包括ケアに資する活動に発展していきました。
偏差値ではなく「非認知能力」の向上を
――これからの時代の教育にも関心があるとお聞きしました。地域における教育分野における取り組みで重要なことは何でしょうか?
これからの時代に、人間が持っていた方がいい能力は「非認知能力」です。例えば、信頼や人に甘えること、やり抜く能力、責任感……。こういった偏差値で計りにくい能力が、これからの時代には大切になってくると思います。この力を高めるために、子どもたちの日常生活や学びの場がどういうものであるべきかが、問われていくでしょう。
偏差値偏重型教育の領域での能力は、かなりの部分がAIに取って代わられます。その能力を高めるのに子どもの時間を使うのはものすごくもったいない。
「こいつは信じられるな、助けてやりたいな」と思ってくれる人を、自分の周りに3人は見つけておく、作っておくことが大事になると思います。自分に万が一の事があった場合も、その3人なら全力で助けてくれるという信頼関係を築くために必要な教育やコミュニケーションを、真剣に考えないといけません。
――具体的にはどのような学びをしていくべきでしょうか?
ふるさとに価値を感じさせる教育がいいのではないでしょうか。いま重視されている偏差値重視の教育では、「地元ってすごく良いよね」や「あの大人に憧れるね」、「この街に生まれたから、お世話になったから、お返しがしたい」と思う気持ちやゆとりをどんどん奪っています。
その状態でふるさとを出ると、何のために働いて力つけようとしているのか、その目的がはっきりしない「根無し草状態」になってしまいます。そして、人生の目的が消えてしまうと、「お金」という一番分かりやすい目的を設定することになるのです。
そもそも、なぜ人々は「お金を儲ける」というモチベーションで働いてしまうのか。それは、お金以外のもので心が満たされてないからです。なので、先に「ふるさとを元気にするため」や「ふるさとでお世話になった人たちのため」という目的意識を持っておけば、「お金が儲かるため」という目的意識をもつ必要がなくなります。
――消費社会に対するリテラシーを高く持つことにもつながりそうですね。教育分野の変化や動きで、何か参考になる事例はありますか?
ヨーロッパは、このテーマについてずっと議論をしてきた地域なので、この考え方・概念を共有している人の割合が高い印象があります。
なかでも北欧のフィンランドやノルウェーは独自の哲学を作り上げてきた歴史があります。だからこそ、簡単に消費社会へ流されていかない教育をできていると思います。
本当に大事な考えはじわじわと広げていく
――「教育」は重要ですが、教育を変え効果が出るまで時間がかかりますよね。地域で幸せな人を増やすために、何か他にすることはありますか?
おっしゃる通りですね。本来は教育制度から一気に変わればいいのですが、なかなかそうはいきません。だからこそ、価値観を変えていくように、手近な教育からじわじわと広げていくことが重要です。
それ以外のことをやっても、目的から遠ざかっていくのではないでしょうか。例えば、「課題を自動で解決してくれるシステムを考えて、人々は努力しなくても課題が解決できるようになります」と、インスタントなアイデアを実施しても、マイナスの影響を与えてしまうような気がします。
努力しなくても恩恵を受けることができるのは、一見するとよさそうに思えますが、実際には違います。努力しないと結局は恩恵を受けることはできないような仕組みに世の中はなっているのだということを、地域の人たちが理解し、努力を惜しまないようにする、ということが地域をよくする上でとても重要だという気がします。
――AIが仕事を代替していって、我々の職がなくなってしまうかもしれない、という話もあります。そんな社会が到来した場合、人間は何をもって楽しく生きたり、幸せになったりするのでしょうか?
ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン森の生活』や鴨長明の『方丈記』のように、ミニマリストの生活をしたら、1週間のうち1日働けば、残り6日は自分が好きなことをして暮らせますよ。
AIの影響で働き口がなくなり、地方に住んでいる人たちや若い人たちは大変になると、芋づる式に思い込まされているところがあります。しかし、この150年ほどで作ってきた社会の全員でお金を回さないといけない資本主義経済の仕組みについて、「よく考えてみたら、ちょっとおかしくない?」という理解が共有されれば一歩先に進む気がします。
現実問題、「お金じゃない取引・行動」を地域社会全体の仕組みとして取り入れていくのはちょっと難しいですよね。ですが、「僕らの仲間内でやりとりできるプラットフォームを作りましょう」程度なら実現可能です。こう考える人が地域で何人かいれば、その人の周りから「今の資本主義の社会の中でも、こう考えてみたら生きやすくなる」という考え方が出てくるのではないでしょうか。
ただ、この考え方が共有できたとしても、地方からの若者流出を止めることはできないような気がしますね。やっぱりみんな、新しいものに憧れるから。だから、行くのはしょうがないけれど、「その心の根っこに地元に関する何かを植え付けてから外へ出していくこと」は、僕らにできることかなと思っています。
――山崎さんが島根県隠岐郡海士町で取り組まれたまちづくりの総合計画「島の幸福論」はそういう意味で、参考になりますね。
海士町は、「出ていく人たちは気持ちよく送り出しましょう」「入ってくる人たちにはどんどん入ってきてもらいましょう」というスタンスでやっているんです。
その代わり、出ていった人たちに「海士町めっちゃ良かったよ!」と外で語ってもらうことで、新しく海士町に入ってくる人たちが生まれて、その後またどんどん出ていく人たちがいるような循環する場所になります。
そうすると、海士町の子どもたちは「なんで、コンビニもないような離島にみんなが来るんだろう?」という疑問を持つようになりますよね。海士町の町長は、そんな状態をずっと維持したかったみたいです。まさにふるさと教育ですね。
――非通貨・非金銭的な関係でのやりとりで、地域の人々の生活が循環していく考え方は、海士町での経験から生まれたものなのでしょうか?
海士町にいる2300人の中で、300人ぐらいはすでにそういう考え方をしていると思います。少しズルい気もしますが、世の中にお金を重視して社会を回している人たちがいるから、無料で使えるサービスがあります。
例えば、YouTubeなどのSNSやプラットフォームを自分たちは無料で利用できるし、広告費としてお金を出さなくても「僕らは楽しく暮らしています。お金を使わなくても楽しむことはできますよ。海士町でこれからも楽しく暮らしていきましょう」と世の中に発信していくことができます。
こうやって無料サービスをある程度使いながら、「僕らはお金じゃないっていう暮らし方をしようね」という一団のチームを作っている感じです。社会全体を一気に変えていくのはなかなか難しい。だからこそ、じわじわとプロジェクトを進めています。
共時体験・人と人がつながる機能が求められる
――最後に、2040年の世界において、メディアやコミュニケーションはどのようになっていると思われるか、なっていて欲しいかを聞かせてください。
何か共感できるアイデアや活動が、自分たちの中でうまく共有できる仕組みができているといいですね。さらに、現実やメタバース、オンライン・オフライン関係なく、仲間と一緒に活動し、いろいろな場所を飛び回ることができればいいなと思います。
できればその仕組みは、人々の消費欲を煽りつくして得た利益ではないもので運営されていれば、より気持ちがいいとは思いますね。しかし、2040年にはまだその理想は夢物語で、資本主義社会が続いていくでしょう。
そういう状況でも、オンライン・オフライン問わず、メディアは人と人が共に時間を過ごした「共時体験」によるつながりを媒介する役割を果たせているといいなと思いますね。一方的に何かを伝えていく、啓発していくという役割以外にも、社会のために、メディアができることは沢山あると思いますから。
2021年11月26日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 冨永直基
編集協力:西村重樹+有限会社ノオト
※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。