人は仮想空間上で現実世界を再現し続けるのか? ジャスティン・ヘンドリックス氏が語る今後のデジタル空間のあり方

博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所は、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を洞察することを通して、メディア環境の未来の姿を研究しています。少子化・超高齢化社会が到来する中、本プロジェクトは現在各地で開発が進められているテクノロジーの盛衰が明らかになるであろう2040年を念頭におき、各分野の有識者が考え、実現を目指す未来の姿についてインタビューを重ねてきました。

2040年に向けて、テクノロジーの発展は私たちにどんな影響を及ぼしていくのでしょうか。VR/ARを含む最先端技術の集積都市として街づくりを進めているニューヨーク市が立ち上げたNPO団体「NYC Media Lab」で所長を務めた経験を持つジャスティン・ヘンドリックス氏に、デジタル空間やメディア環境の今後、テクノロジーの発展に伴う人々のあり方の変化などに関して伺いました。

ジャスティン・ヘンドリックス(Justin Hendrix)
Tech Policy Press/CEO
最先端技術の集積都市としての街づくりを進めるニューヨーク市によって設立された、産官学連携を促すイノベーション創発組織NYC Media Labの所長と、VR/AR・空間コンピューティングの拠点となるRLabの設立エグゼクティブ・ディレクターを兼任した経験を持つ。現在はニューヨーク大学タンドン工学部で、アソシエイトリサーチサイエンティスト兼非常勤講師も務める。

私たちの身の回りのものは全て情報

――スマートフォンに代わる新しいデバイスの出現など、今後もデジタルの世界はさまざまな変化が訪れると思いますが、それらは社会にどのような影響を与えると思いますか?

私は、メディア研究の哲学者ジョン・ダラム・ピーターズの書籍『The Marvelous Clouds』で、どのように情報と接するべきかを学びました。宇宙や生命の構成要素について考えてみると、私たちの身の回りのものはすべて情報なのです。したがって、デジタルメディアという別のレイヤーの登場は、新しいデバイスを追加することではありません。あくまでも単に情報のバージョン、「層」を足しているに過ぎないのです。

だからこそ、私はデジタル世界が自然の一部として定着すると、楽観的に考えています。最良のシナリオは、愛のある機械、フレンドリーなAI。私たちを助けてくれるあらゆるものと共に生活することです。そのような環境下では、ポケットの中に常にあるハードデバイス、目の前のたくさんの配線、頭の上にあるものなど、私たちに取り付けられているすべてのものにあまり依存しなくなります。

それと同時に、テクノロジーから得られる多くの利益や恩恵は、主に富裕層にもたらされるだろうとも想像しました。現在もまだ電気を利用できない人々が何億人もいます。同じにように世界にテクノロジーが偏在し、最良のシナリオも偏在していることでしょう。洗練された世界と、まったく異なる世界の2つが同時に存在しているのです。

――デジタルの世界がより自然になると言われましたが、将来的にVR(仮想現実)はデバイスフリーになると思いますか?

物理的に目の前に信号を出すだけでなく、脳に直接信号を送る技術がないと、デバイスフリーを実現するのは難しいんです。そうなると、ブレイン・コンピューター・インターフェースの完成度が飛躍的に向上しない限り、何らかのハードウェアは必要だと思います。

先日、Meta社が、バーチャル空間で触れたモノを実際に感じられる「触覚グローブ」を開発していると話していました。しかし、人々がこのようなデバイスを身につけたいと思うかどうかは分かりません。エンターテイメントではありえるかもしれませんが、仕事など日常的に身に着ける日はくるでしょうか? 人々の行動は変化するので、現時点では分かりません。ですが、おそらく目や耳といった重要な感覚器官に付けるデバイスは残るのではないでしょうか。

現実世界を仮想空間で表現するトレンドは薄れていく

――現時点では「メタバース」という言葉には統一された定義はなく、徐々に変化しています。2040年、メタバースはどうなっていると思いますか?

おそらく2040年までに、現実世界をバーチャルで表現することへの執着は薄れているでしょう。なぜなら現実世界のほうが、バーチャルな環境よりもいろんな意味で面白いから。Meta社CEOのマーク・ザッカーバーグが「Connect 2021」というイベントの基調講演で「現実世界上のあらゆるコミュニケーションがメタバース上で行われるようになる」と話していましたが、人々がそのようなバーチャルな環境に興味を持つとは思えません。

将来、バーチャル環境に身を置いたとき、腕や顔、重力など現実と同じものがほしいとは思わないのではないでしょうか。

――今後、人々は仮想世界の中に入って、その世界を楽しむと思いますか? そこで過ごす時間はさらに増えていくのでしょうか?

現在も、ゲームやインターネットなどのバーチャル世界に入り、スマホとにらめっこしている人がいますよね。そうやってメディアを消費している時間は、心が現実ではない仮想の場所にあると言えます。私たちの感覚はすでにそのような状態まで来ているのです。

ですが、それが楽しいか楽しくないか、あるいは身体に良いかどうか。それは議論の余地がありますね。健康の観点では、研究上の一致した見解はあまりないようですが、デジタルメディアの影響については、現在すでに膨大な量の医学的、社会学的、心理学的研究が進んでいます。これからの10年で、確実に共通の答えが見つかるだろうと想像できます。「この程度までなら、バーチャルな環境に身を置いても問題ない」といった法律もできるかもしれません。

――仮想現実の中では、複数のアバターを持ち、多様な居場所を確立できるようになりますよね。さまざまな場所で、複数のアイデンティティ、キャラクターを使い分けることについてどう思いますか?

この点は、作家のヴァーナー・ヴィンジが書いたSF小説『Rainbows End』が大変興味深い示唆を示しています。この作品の中では、多くの人々が異なるペルソナを獲得し、さまざまな状況下で、違うアバターを使って自分を表現しています。例えば、アニメのキャラクターやモノとして世界を旅したり。このような世界観を想像するのは難しくありません。

すでに私たちの多くは、ソーシャルメディアプラットフォームごとに少しずつ異なるペルソナを持っています。そして、この現象はプラットフォームが発展するにつれて、さらに一般的になっていくでしょう。

デジタル空間が発展する一方、物理的な移動や楽しみは残り続ける

――屋外の看板(サイネージ)などはどうなっていくと思われますか?

デジタルサイネージやデジタルメディアは、さらに増えていくと思います。ディスプレイの新しい形態、素材が実現されるかもしれませんね。10年前、20年前、30年前と現在で、街中にあるデジタルサイネージの量を比べてみてもその差は歴然です。

――今後、デジタルサイネージも個人ごとに異なる広告が表示されるなど、パーソナライズされていくのでしょうか?

その可能性はあります。一方で、実用的な個人情報保護法が整備され、そういう広告は一切許されなくなる可能性もあるでしょう。すでにヨーロッパではそういう方向性で動き始めています。アメリカはまだそこまで厳しくはありませんが、各州で独自のプライバシーに関する法律を可決しています。公共の場でのパーソナライゼーションが許されるのかは、いずれはっきりと分かってくることでしょう。

――今回のパンデミックで、私たちは旅行ができなくなりましたが、オンライン上での旅行体験を楽しむ人も登場しました。今後、テクノロジーがさらに進歩することで、匂いなど実際にその場にいる感覚をもっと体験できるようになると思いますか?

はい。今後、実際の旅行と同じくらい面白いものをバーチャルで再現できると思います。気候変動などさまざまな要因で、旅行が再度制限される可能性もありますしね。

けれども、人類が世界各地を移動する能力を放棄するとは思えません。2040年にはより没入感のあるデジタルメディアが登場する一方、より信頼のおける形で他の「感覚」を刺激できる方法も出現している可能性もあります。

――過去にも、スペイン風邪をきっかけに、エンタメ業界は大きく成長しました。今回のパンデミックを経て、この分野はどうなっていくと考えますか?

ライブエンタテインメントの世界は、これからも続いていくでしょう。人々は今でも、本物の俳優やダンサー、アーティストを見たり、彼らの存在を感じたりできる場所に行きたいと思っています。たとえ、そこが人混みだとしても。リアルなエンタテインメントは常に存在し続け、むしろもっと大きくなっていくのではないでしょうか。

実際、新しいショーや演劇、芸術が爆発的に増えています。まだロックダウンなどの問題は残っていますが、ニューヨークでもブロードウェイが復活し、新しい作品が数多く生み出されています。多くのアーティストがツアーを組み、ロックダウン中に制作した新たな作品を発表しています。パンデミックの間に、たくさんのイノベーションが生まれたのです。

私の妻がワクチン接種を受けたあと、最初にやりたかったことはブロードウェイのショーに行くことだったそうです。そして、多くの人が同じ欲求を持ち続けているように思います。デジタル空間で過ごす時間が長くなるほど、物理的に楽しむという行動はより重要になるでしょう。

テクノロジーや商業的利益に管理されない社会を目指す

――2040年に向けて、私たちはどうあるべきでしょうか?

この先の10年間は、困難な時代が待ち受けているように感じます。大災害や戦争、気候変動による破壊、富の不平等、抑圧的な政権の増加など、私たちが何とかしなければいけない問題です。

それでも2040年までには楽観的な状況になると、私は信じています。その一端を担うのはテクノロジーです。しかし、テクノロジー自体は私たちを正しい場所に導いてくれません。だからこそ、私たちはテクノロジーをコントロールし、単に商業的利益だけに使われる状況を作らないことが大切です。

完全に商業的な利益だけによって動かされる世界を人間は決して望まないですよね? そして、そんな世界は安全で健康的な場所ではありません。

――「デジタルウェルネス(デジタルテクノロジーを利用する個人が健康で幸福であること)」と没入型メディアは、両立すると思いますか?

そうであってほしいと思います。また、デジタル領域だけでなく、より広い概念としてのウェルネスも両立できる世界になるよう願っています。

2040年には、私たちの身体の中により多くのデバイスが存在し、体への影響をデバイスが調節している可能性がありますよね。血糖値のような単純なものから、より複雑なものまで、私たちの生理的な経験を追跡し、何かが起こるのを予防したり、生理学的な経験などをモニタリングしたり……。デジタルウェルビーイングと身体的ウェルビーイング、心理的・精神的ウェルビーイングは何らかの形で一緒に考えられるようになるのではないでしょうか。

――今後、テクノロジー分野において、どのプレーヤーが力を持っていくと考えますか? また、2040年に台頭している国はあると思いますか?

私は、いま世界をリードしているスマートデバイスのメーカーは極めて重要な存在であり続けていると考えています。彼らが獲得した富、そしてある程度環境を独占している点から、上に立ち続ける能力は極めて強固です。ただし、ソーシャルメディアのプラットフォームは、どうなっているか分かりません。権威を守るのが難しい領域なので、数年間で状況が大きく変わる可能性があります。

今後もシリコンバレーを失脚させるのは難しいと思いますし、中国が成長しているのは明らかです。ですが、2040年までにアフリカから何が出てくるのか、私はそれが楽しみです。アフリカ大陸は政治的に安定しているわけではありませんが、平均年齢は25歳。ガーナをはじめ、安定的に繁栄している民主主義国家も多くあり、素晴らしい軌道に乗っていると思われます。そのような国々が、独自の新しいアイデアやイノベーションを生み出している可能性もあるでしょう。

2040年までにはわかるであろうその結果に期待しています。もしかしたら、私たちをあっと驚かせる何かが生まれているかもしれませんよ。


2022年11月17日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 小林舞花
編集協力:矢内あや+有限会社ノオト

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