仮想空間と現実空間、双方でのリッチな体験が重要に! 駒澤大学准教授・井上智洋氏が予測する、AIやメタバース社会における人間の生き方

博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所では、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を踏まえ、2040年に訪れる未来の姿を予測すべく、各分野の有識者にインタビューを重ねてきました。

AIが経済・社会に与える影響について研究している駒澤大学経済学部・井上智洋准教授には、2021年11月に働き方の変化や余暇時間の使い方、AIが普及した未来の経済・社会について話を伺いました。 

余暇時間の活用とベーシックインカムで楽しい社会を! 駒澤大学准教授・井上智洋氏が考える「AI時代の経済社会」
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しかしながら、AIやメタバースが想像を超えるスピードで進化しはじめている昨今、改めて私たちはAIをはじめとするテクノロジーとどのように付き合っていけばよいのかという問いをアップデートする必要を感じ、2023年3月、経済や文化、メディアのあり方は今後どうなっていくのか、再び井上さんに問いを投げかけました。

井上 智洋(Tomohiro Inoue)
駒澤大学経済学部准教授、早稲田大学非常勤講師、慶應義塾大学SFC研究所上席研究員
駒澤大学経済学部准教授。慶應義塾大学SFC研究所上席研究員。博士(経済学)。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2011年に早稲田大学大学院経済学研究所で博士号を取得。早稲田大学政治経済学部助教、駒澤大学経済学部講師を経て、2015年4月から現職。特に、経済成長理論、貨幣経済理論について研究しており、最近は人工知能が経済に与える影響について論じることも多い。著書に『人工知能と経済の未来』(文芸春秋)、『ヘリコプターマネー』(日本経済新聞社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社)、『純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落』(日本経済新聞出版)、『メタバースと経済の未来』(文春新書)などがある。

人間の「意思」を実現するためにAIを活用する

――最近、ChatGPTが話題となっていますが、井上さんはこの流れをどう感じていますか? 

ChatGPTは、ネットなどにあるさまざまな文章を集めて処理しているだけですが、かなり高度な答えを返してきますよね。GPT-4にいたっては、大学のレポート課題をそつなくこなせるレベルに達していて、狭い意味での知性に関しては、すでに人間以上の能力を発揮しています。

ホワイトカラーの仕事がかなりなくなってしまうのではないかとか、いろいろ議論になっていますが、いずれにしても、雇用のあり方は抜本的に変わらざるをえないでしょう。2016年に、「2030年以降、日本では雇用が著しく減ってしまうのではないか」と私は予測していましたが、もしかしたら2030年までかからない可能性もありますね。

特に資料作成領域の負担は、劇的に軽減される。雇用が失われるかどうかは議論の余地があると思いますが、まずは当面ホワイトカラーの仕事はかなり楽になると思います。仕事のあり方が確実に変わり、今まであった仕事が失われていくこともあれば、逆に増える仕事もあると思っています。

――人間の仕事はどのようなものになっていくと思われますか?

ChatGPTのような大規模言語モデルのAIは、スーパーインテリジェントですが、指示されないと特に何もやりません。以前から「指示待ち人間は良くない」と言われていましたが、「指示待ち人間を雇うくらいなら、AIを使ったほうがいい」となるでしょう。

そのため、人間は能動的な意思を持つことがとても大事になってくると思います。そもそも意思とは、今のところ人間にしか持ちえないもの。「こう変えたい」という意思を大事にして、それを実現するための道具としてAIを活用していく。それが今後の人間に残された役割だと考えています。

また、AIは今のところ営業ができません。BtoCの営業はITに代替されてきた部分がありますが、BtoBの営業はやはり人間同士、信頼し合った取引先の人と行う。ツールとしてAIが活躍していくことはあるでしょうが、営業という仕事自体は当面今までの流れとそんなに変わらないと思います。

AIは自分の体験を形にできない

――今後、クリエイティビティはどうなっていくのでしょうか? AIのクリエイティビティはどのようになっていくのでしょうか? 

それはこれからの約1年間、大きな議論になるテーマですね。バッハっぽい曲を作れるAIがかなり前からあります。それじゃAIはバッハ並みに素晴らしいのかというとそうじゃない。バッハはバッハっぽい曲を最初に生み出したから偉大なわけであって、AIでも人間でもそうですが、その後にいくらバッハっぽい曲を作ってもそれほど評価されないですよね。

AIは人間の感性、つまり快・不快を直接判断する感覚を身につけていません。快いのかどうかか自分でその都度考えながら新しいメロディーを作っていき、そういうメロディーをつないで曲を作っていくということは、今のAIでは原理的に不可能です。つまり、まったく新しい芸術を生み出せるのはやはり人間なのではないでしょうか。

また、AIは自分の体験を言葉や絵、音楽などで表現することもできません。最初に体験した人間の生み出した表現がなければ、何も始まりません。そのオリジンはあくまでも人間にあります。

その意味で、今の大規模言語モデルのAIに勝てる表現者になるためには、一つには自分の体験に基づいた表現をすることです。そこに、人間の役割や価値が担保されるのではないでしょうか。 

――前回のインタビューで、「2040年に向けて余暇時間が増えていく。その時間を使って能動的に学んで成長することが大事だ」というお話がありましたね。 

この場合の成長は多くの場合、AIより劣ることが前提の話になってしまうかもしれません。でも、それはそれでいいと思っています。

たとえば、現在でも絵を描く人は、別に勝ち負けの世界で戦っているわけではありません。多く人はただ、描くことが好きで、楽しんでいる。自分なりにどんどん絵がうまくなっていくのは、誰かと比較しているわけではないので、別にAIとも比較しなくていいはずです。 

――井上さんは、AIをどのように活用していくべきだと考えますか? 

AIと二人三脚で、企画を立ち上げるためのヒントを得たり、支援してもらったりできるといいでしょう。ネットの書き込みを吸い上げて要約して、世の中の課題をまとめて整理して私たちに提示してもらう。あくまでもツールとしてAIを活用していくのはありです。むしろ積極的に使うべきだと思います。 

――先ほど、意思は人間にしか持てないとおっしゃっていましたが、今後、課題を見つけて、その中から解決できそうなものに取り組むよう指示することで、意思を持ったように振舞えるAIが誕生する可能性はあるのでしょうか? 

研究者はそういう意志を持ったAIを開発しようとしてはいますし、課題とその解決手段を整理して提示してくれる可能性まではあるでしょうが、その先で人間のような快・不快といった感情をAIに与えるのはまったく手がかりもつかめないくらい高度な次元の話だと私は思っています。人間の脳を丸々コピーしたようなソフトウェアでなければいけないし、ひょっとすると身体のコピーもなければいけないかもしれない。そういうものはもはや「人工」知能とは呼べないでしょう。

現在のAIは、要するに機械学習。論理学の用語で言えば「帰納」を実践しています。さまざまなものから、法則性を導いていく。そのルールを抽出するときに、人間とは違った観点でルールやパターンを見いだし、人間の思いつくようなものとは違う表現の仕方をすることで、人間とは違う何かを生み出すことは当然ありうるでしょう。

現実とバーチャル、どちらかに偏るのではなくバランスが大事

――メタバースが人々の暮らしに与える影響で、関心を持っていることはありますか?

まず、狭義で考えるとメタバースは「バーチャルリアリティ込みのコミュニケーションができる仮想空間」だと私は捉えています。これは普及までにまだまだ時間がかかるでしょう。私なんかは実際にVRゴーグルをつけると重くて煩わしいうえに、VR酔いをしてしまう。もちろん平気という人もいますが、多くの人にとってはそんなに手軽なものではありません。

また、日本は長年デフレ不況だったので、お金にあまり余裕がない。多額の費用を出してまで利用するものなのかという懸念もあり、先進国の中でも日本はVRに肯定的ではない人が特に多い地域です。

ただ、広い意味でのメタバース、つまり「コミュニケーションできる仮想空間」であれば、一部の学生の間でZEPETO(スマートフォンで3Dアバターを作って遊べるアプリ)やBondee(自分のアバターを作成して交流できるSNS)が流行りました。利用者には、リアル空間でのコミュニケーションが必ずしも得意ではない人も多いイメージです。

あとは、小中学生がやっているフォートナイト(互いに銃を打ち合うゲームで、仲間とボイスチャットで会話しながら、同じ空間に一緒にいるかのように遊べる)もそうですね。VRなしのメタバースは若者を中心に徐々に広がっていて、これらは一種のコミュニケーションツールでもあると思います。

個人的には、VRの前にARが流行ると考えています。眼鏡サイズのARグラスもあるので手軽ですし、バーチャル空間に没入していくより、現実空間に何かを浮かび上がらせるほうがハードルは低い。VRゴーグルは、もっと小型化されて気軽に装着できるようになれば利用が拡大していくでしょう。

――人間がメタバースの世界にどっぷりつかってしまった場合、どんな影響が生じてくると思いますか?

対面で触れ合いながらのコミュニケーションや身体を使った運動や体験が、失われてしまう危険はあります。

私は、メタバースとSociety 5.0(仮想空間と現実空間を融合させ、経済発展と社会的課題の解決を両立させる人間中心の社会)を相反する組み合わせだと見ています。現実空間を捨ててバーチャルな空間にどんどん没入していくのがメタバース、現実空間を充実させていくのがSociety 5.0とした場合、やはり現実とバーチャルのバランスが大事です。

しかし、ある程度普及すると、メタバースのほうが肥大化してしまう可能性もある。実際に旅行に行って、匂いを感じたり、人と触れ合ったり、そういった人間にとって欠かせないものが失われることは避けたい。

バーチャル空間に比べると現実空間のほうがあまりにも豊穣(リッチ)ですし、現実とバーチャルには差があります。特に子どもたちが貧相な空間の中で育ってしまうと、感性が貧弱な大人になってしまうのではないでしょうか。

――現実空間の良さをしっかり残しておかないといけませんね。実際に体験しに行ったら、メタバース空間よりも貧相だったとなってしまうと良くないですから。

そうですね。自然が失われることにもつながりかねません。ありきたりな話ではありますが、AIもメタバースもやはり体験が大事です。

共感能力を高めるのがメディアの役割

――日本はメタバースに賭けて、科学技術の最先端を担う「日本未来主義」を取り戻すべきと最近の本に書かれていましたが、実現する上での課題は何でしょうか?

難しいのは、もう誰も日本に見向きもしなくなっているということです。日本が世界で最も経済力のある国になりうる自信に満ちていたバブル時代にはいろいろ問題があるとはいえ、もう一度力強い日本を取り戻した方がいいかなと思っています。

お金がないと文化もどんどん衰えていきます。バブルの頃は企業がかなり文化活動にお金を出していました。日本が経済的な成長発展を続けられていれば、今頃成熟した文化が生まれていた可能性があります。でも、それは30年の間にほとんど失われてしまいました。

もちろんお金がなくても育つ文化はありますが、建築や映画などはある程度お金が必要な領域。「日本未来主義」と言ったときに、経済発展があり、そこで科学技術が進んでいき、文化も爛熟して、伝統文化や自然も大事にしていく。そういうヘリテージを残しながら、先端的なものと伝統的なものとが融合した、エキゾチックなサイバーオリエンタリズムみたいなものが生まれればいいと思っています。ただ、日本の経済はこれからさらに衰退していく方向なので、難しいかもしれません。 

――日本企業が復活するチャンスはまだ残っているのでしょうか。そのためにメディアができることはありますか?

やはり経済に関する情報をもっと掘り下げてほしいですね。経済情報番組もありますが、時事的なことを扱うだけという印象です。

歴史的に、いかに文化が経済と結びついてきたのか、どういう関わりにあったのか。経済と文化を結びつけながら、そのカラクリを掘り下げ、それをジャーナリスティックに追求していく。そういう情報発信が増えれば、文化人が経済を嫌う必要もなくなるのかなと思います。

そもそも、大衆と文化人の意識がかけ離れているんです。文化人には「文化は大事であるが、資本主義は金儲け主義で良くない」というスタンスの人いっぱいいますよね。しかも、そういう人たちも本を売ったり講演したりして稼いでいる。本来、文化は資本主義や経済と切り離せない。学者も経済の中にどっぷりつかっているのです。そういう意識を自覚するところから議論をスタートしないといけません。

――資本主義との関係性というと、広告に対してはどう思われますか?

過剰な広告によって、人の欲望を無駄にかき立てているものもあります。そういったコマーシャリズムの行き過ぎは良くないですね。広告業界は、ある程度の倫理感を持ってほしいです。

また、ネット広告は欲望をかきたてる以前に、邪魔な広告やだましてクリックさせる意図の広告もあって(そういう種類の広告は)最低最悪だと思います。それに対して、文句を言う人も少ない。もう少し不満の声を上げないと世の中は変わりません。ヨーロッパと比べると、日本は少しコマーシャリズムが行き過ぎていると感じますが、みんな何も言わないんですよね。

文句を言うのは恥ずかしい、格好悪いことだと思う人が日本人には多い。特に若者ほど、洗練された提案をしないといけないと考えている。ですが、単に文句を言っているだけでも数が多ければ政治家は聞かざるをえなくなって、良い方向に政治が変わる可能性もあります。とりあえず文句を言う。それはとても大事なことです。

――広告の課題については業界としても対策を講じてきていますが、まだ十分とは言えないですよね。また生活者側、特に最近の若者はネットの炎上をたくさん見てきたので、リスク回避の意識が高い気もしますが……。

私も今の若者はリスク回避的だと思います。やんちゃな人が少なくて、真面目な感じがします。ただ、一部の学生は、高齢者に対してきつい考えを持っており、障がい者やホームレスの方に対しての目線も厳しい。

いずれは誰でも、年齢が上がると身体が動かなくなって、立場が弱くなっていきます。でも、世代の分断が進み、そういう人たちとの一体感や共感意識、優しい眼差しが損なわれてきているんです。最近そこをとても心配しています。

――あまり表に出てきにくい部分かもしれませんが、実は心の中でそう思っている学生がいるということでしょうか?

そうですね。一部の若者がそうなってしまったのは、デフレ不況が要因の一つではないかというのが私の仮説です。

若者に限らずですが全体的に心がどんどん貧しくなって荒んでいっている。自分たちの給料が増えないことを、なんとなく高齢者のせいにしたり。「自分たちの税金で弱者の人が社会福祉を受けていて、自分たちの税金が取られている」と話す学生も本当に多い印象です。

もっと共感能力の高い若者を生み出せる社会にしていく必要がある。それも、メディアの重要な役割の一つではないでしょうか。


2023年3月24日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 冨永直基
編集協力:矢内あや+有限会社ノオト

※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。