生成AIは真の創造性を持ち合わせてはいない メディア コパイロット編集長 John Biggsさんが考える、AIとの今後の向き合い方
博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所では、AIが社会や産業、メディアにもたらす影響について研究・洞察する「AI×メディアの未来」プロジェクトを立ち上げました。その一環として、さまざまな分野で活躍している有識者にインタビューを重ねています。
今回お話を伺ったのは、大手テック系メディアの編集者を15年間勤め、現在はメディア コパイロットの編集長を務めるJohn Biggsさん。ニューヨークを拠点に活動するJohnさんに、今後生成AIが生活者・メディア・広告にもたらす影響やクリエイティブとの関係性についてお話を伺いました。
AIはあくまでもツールであって、知性ではない
――今後5年間で生成AIはどこまで進化し、何ができるようになっていくと思いますか?
正直に申し上げると、AIの技術は「足踏み状態」に入ったと感じています。もちろんツールとしては今後もっと使えるようになっていきますが、現在は一つの頂点に達した段階にあると私は考えていて、次の5年間で何かが良くなるとは思えません。10年単位だとまた別の話ですが。
ただし、「Quantum computing(=量子コンピューティング)」が状況を変えることはあるかもしれません。
――生成AIが自律的に動くように研究開発をしている企業も多いと思います。そういった方面での進化はいかがでしょうか?
自動車業界で言えば、確かにレーンの管理をしたり他の車を避けたりすることはほぼできます。十分な演算力があれば十分できる範囲であり、そのような自律性はどちらかというと難しくはないですね。
一方、本当の意味で生成AIが私たちのために仕事をやってくれるかというと、おそらくそれは虚偽でしょう。こちらが与えた一つの目的を達成することはできても、複雑なことはまだできない。なので、やはり人が介在する必要があります。
――Johnさんが書かれた記事で「アマラの法則」(人間は技術の短期的な効果を高く見積もり過ぎ、長期的な効果を低く見積もりすぎる)に触れられているものがありましたが、長期的に見たとき生成AIにはどのような価値があると思いますか?
「Augmented Intelligence(=拡張知性)」になっていくのだと思っています。つまり、AIはほぼ全ての用途において私たちの成功を手助けしてくれるアシスタントのような存在になる。
それからもう一つ、AIによってインターフェースがどんどん良くなっていくでしょう。例えば、健康関連のアプリなら食べたものを管理し、体調管理をアドバイスしてくれる。食べたものをAIが見て「この栄養が足りていないから、明日はこの食品を食べましょう」と耳に向けてささやいてくれるイメージです。
しかし、本当の意味でAIと人とが相互作用を持つ関係になることはないでしょう。もちろん、そうやって人々がAIと話すことを楽しむ状況はありえますが、AIはあくまでも空っぽの箱。その中に知性はありません。エージェントAI、コンパニオンAIなど、私たちはさまざまな呼び方をしますが、実際はそうではないのです。AIがやってることをパートナーであるとかコンパニオンであるというふうに私たちのほうで捉えているだけです。
なので、AIをあまり褒めたたえすぎるべきではありません。ましてやAIを擬人化、人間化すべきではない。多くの人が今そういうふうに生成AIを扱おうとしていますが、それは避けたほうがいいでしょう。
生成AIは真の創造性を持ち合わせてはいない
――生成AIが生み出すクリエイティビティの可能性や限界についてはどのように考えていますか?
私たちがAIのクリエイティビティだと思っているものは全て、人の入力があって初めて可能になっています。AIそのものに創造性は存在しません。でも、AIが作ったものが興味深く映ることはあるでしょう。
花もそうですよね。人間は花を見て「美しい」と思い、鑑賞します。ですが、花としては別に「美しくありたい」と思って咲いているわけではなく、実際の目的は生殖して個体数を増やすためでしかない。
それは、AIに関しても同じ。例えば、私が「記事を書きたい」と思ったら「こういった記事をつくりたいから、概要をまず書いてくれ」と指示します。すると、その指示どおりにAIは文章を作り、私がパラグラフごとに修正したり拡張したりする。
つまり、AIは「time-saving device」にすぎないのです。ワープロがかつてそうであったように、時間を節約してくれますが、私たちを助けてくれる友人ではありません。あくまでも私の創造性をさらに伸ばしてくれるツールです。
一方で、AIによる創作活動の多くは盗作とみなされているようですが、他の人がつくったものを持ってきている側面には大きな問題があります。
――クリエイターは今後AIとどう付き合っていくべきでしょうか?
デザイナーの場合、AIを使ってデザイン作業の一部を任せる。でも、完璧なものは出てこないので、最後は人間がより良く仕上げていくことになります。人間がプロとして創造性を発揮するためには、AIというツールのいい使い方は学んでいかなければいけません。
今後は、みんながAIの使い方を知っている状態になっていくと思います。スマホや電卓のようなもので、使い方を学べる学校はなくても、日々みんなが使うので使い方を知っている……といった社会になっていくでしょう。
――ちなみに、今までにない新しいクリエイティブを生む上でAIが役に立つこともあると思いますか?
答えは「NO」です。人間には、独自の創造性があります。使えるツールが一つ増えたからといって、効率が良くなったりコストが下がったりすることはあっても、その独自の創造性が変わるとは思いません。
――AIがさまざまな組み合わせを提示することによって、人間が思いつかなかった新しいクリエイティブが生み出される可能性はありそうですが……。
そういった文脈は、確かに「YES」とも言えるのですが、それを「人間が作っていない」と捉える考え方には問題があると思います。
何かをミックスすることに関しては、テクノミュージックなどがいい事例です。たとえば、西洋的なハーモニーにアフリカのかなりヘビーなビートを混ぜて、さらにあえてそのベースとしてハーモニカを使う。このようにツールを使って、人間の創造性が拡張されることはありますが、あくまでも人間がつくった音楽。高級なシンセサイザーによって音楽がさらに良くなることはあっても、それもやはり人間が作ったものです。
さらに、AIが組み合わせて音楽を作ったとしても、人間が聞いて好むから、「いい音楽」と言えるわけです。なので、「AIが本質的に音楽をより良くする」という表現は間違いです。
社会として取り組むべきなのは、必要な人に本当のニュースを届けること
――個人やチームなど、それぞれのユーザーに最適化されたパーソナルAIの可能性についてはいかがでしょうか?
いわゆるパーソナルAIを開発している会社と一緒に仕事をしたことがありますが、私自身はあまり可能性を感じませんでした。
例えば、アメリカ大統領選挙のときに、トランプとハリスのコピーバージョンをAIで作って討論させてみたんです。討論内容自体は決して悪くはないのですが、結局私たちが探していたスタイルを出すことはできませんでした。
パーソナルAIは良いアイディアだとは思いますが、完成品を見てみると全くリアルではないし、そもそも使えるかという有用性の意味でもなかなか難しいように思います。
――Johnさんの周りにいるメディアやマーケティング関係の人たちも、同じ見解が多いのでしょうか?
そういうふうに考える人が多いですね。もちろんパーソナルAIが実現できると思っている人もいます。そういった人に対してコンサルティング会社が「あなたに合ったAIを作ります」と言ってくるのですが、結局のところ実現していません。
でも、それは別に構いません。テクノロジーの多くが、最初はそういうものですから。
――次にメディアについて聞きたいのですが、AIの台頭によりコンテンツの制作のあり方が変わってくると、メディアの姿やメディア企業の姿など全体的な影響はどのようになっていくと考えていますか?
私自身は、あまり影響がないと考えています。多少規模は小さくなることはあっても、メディアが完全に破壊されてなくなってしまうことはないでしょう。もちろんこれからの時代のメディア、あるいはメディア企業が、新しいテクノロジーを理解して積極的に使っていくことは必須です。
一方、ジャーナリストの一部はAIによって代替される可能性はありえますが、質の高いジャーナリストたちがとってかわられることはない。
なので、私たちは単により良いジャーナリストを洗い出すためのより仕組みを考えていけばいい。そういった良いジャーナリストが価値ある洞察をより効率的にやれるよう、働きかけていけばいいと思います。
――エコーチェンバーやフィルターバブルなどのSNSの影響によって社会の分断が深まる中で、社会全体のコモンナレッジ(共通知識)が失われつつありますが、AIやテクノロジーを駆使すれば再びコモンナレッジを生み出せると思いますか?
AIの一番大きな問題は多くの間違った情報、いわゆるフェイクニュース、フェイク画像、フェイクビデオ動画を作り出してしまうことです。
メディアの役割で大切なのは、必要な人にちゃんと本当のニュースを届けること。本当のニュースを読む必要がある人が、フェイクニュースだけで信じてしまわないように正しい情報を届けることだと思っています。
そして、フェイクというか真実が届かなくなることの問題は本質的にはAIとは関係なく、社会として取り組むべきより大きな問題だと考えています。
インターネット上に晒された時点でプライバシーは存在していない
――AIやテクノロジーの影響を受けていく中で、将来的に生活者はメディアリテラシーを高めていく方向に進んでいくのでしょうか?
AIのような新しいツールを与えられたとしても、意思疎通やコミュニケーションの方法が(より良い方向に)変わると言ってしまうのは間違いだと思います。
テクノロジーの発展によって与えられる情報は増えるでしょう。しかし、そもそも人間というものをあまり称賛すべきではないと思います。これまで人間は与えられたツールでどんなことをしてきたかというと……、正直、あまり賢いものではないと言わざるをえません。
――SNSが出てきたときに、自分のパーソナルデータをどんどん晒していく人が増えてきました。AIでも同様にその人に合う最適なサービスを提供してもらう中で、パーソナルデータをどんどん晒していくようになるのでしょうか?
私はそうは思いません。と言うのは、人々はすでに個人情報を晒しすぎていて、状況が変わることはないという意味です。「個人情報を守らなければいけない」と言いますが、もう守るものがないんですね。
一度、インターネット上に情報が出てしまうと、目的を変えて再利用されてしまいます。この状況はすでにどうしようもなく、一つずつ対処していくしか方法はありません。なので、もうプライバシーというものはそもそも残っていないのです。
――ちなみに、パーソナルデータやプライバシーの話題に関連して、広告ビジネスは今後どうなっていくと考えていますか?
あまり大きな変化はないと思います。例えば、AIによる恩恵の一つは、ちょうどいいターゲティングをうまく見つけることです。
あるデバイスでコンテンツを見ている人に対して「これを見るのが好きなんだ」とAIが理解して、その人の好みに即した広告を送ることができます。それは確かにあるでしょう。
また、広告を載せる側のコピーライティングやデザインを良くするクリエイティブに関して、AIが助けることはあると思います。けれども、結局はその程度かなと思っています。
2024年9月2日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 冨永直基
編集協力:矢内あや+有限会社ノオト
※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。