メディアテクノロジーと人間をつなぐ領域で仕事や生活をする未来 哲学者・萱野稔人氏が思い描く、これからの人間が大事にすべきこと
博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所では、テクノロジーの発展が生活者や社会経済に及ぼす影響を踏まえ、2040年に訪れる未来の姿を予測すべく、各分野の有識者にインタビューを重ねてきました。
2021年11月、政治哲学、社会理論を専門とする哲学者の萱野稔人さんに、社会のあり方や課題、人々のライフスタイルや価値観などについてお話を伺いました。
▼不快な人間関係は排除されるのが前提の未来 哲学者・萱野稔人氏が語る価値観の変化https://mekanken.com/contents/2476/
しかしながら、対話型AIなどのテクノロジーが想像を超えるスピードで発展しはじめている昨今、そうしたテクノロジーは社会にどんな影響を及ぼし、私たち人間の意識や行動にどのように変化を及ぼしていくのでしょうか。2023年3月に、改めて、今後の人間とテクノロジーのあり方を萱野さんと深掘りしました。
テクノロジーは機能の拡張と同時にアウトソーシングである
――テクノロジーが及ぼす社会変化について、萱野さんは最近どのように考えていますか?
そもそもテクノロジーとは何なのでしょうか? そこに一度遡って考えるのが、遠回りのように見えて、実はいろんな示唆があるのではないかと思います。
過去の流れを考えると、テクノロジーとは人間のさまざまな機能あるいは能力の拡張という捉え方がありますが、私は最近、拡張であるとともにアウトソーシングでもあると考えています。要は人間がやっていたことを機械に任せるということです。
――なるほど、外部化ですね。
例えば、人間が最初に手に入れたテクノロジーの一つは、火だと言われています。今まで生で食べていたものを火で焼くことによって、非常に消化が楽になった。つまり、消化機能をアウトソーシングしたのです。そして、消化のために使っていたエネルギーを脳の活動に使うことができるようになった。第3次産業革命で情報通信技術が発展していくと、脳の活動や機能そのものをアウトソーシングできるようになりました。
そして現在、第4次産業革命といわれる状況で、テクノロジーは知識や思考のアウトソーシングをしながら、社会関係のアウトソーシングもしています。私たちはアバターとしていろいろな社会活動ができるようになり、SNSを通じて友だちができるようになった。これが、テクノロジーがメディアに及ぼす新しい局面の一つになっているのではないでしょうか。
いくつか考えるべき問いがあるのですが、次の2つが重要だと思います。1つは今なされている、例えばChatGPTのようなAIの発達は、第3次産業革命の、計算や記憶や伝達といったもののアウトソーシングの延長線上にあるものなのか、それとも質的に異なるものなのか、という問いです。
もう1つの問いは、社会関係の構築という機能は、新しいテクノロジーによって本当にアウトソーシングできるものなのか、という問いです。
――AIは、計算や記憶や伝達といった機能の拡張やアウトソーシングの延長線上とは質的に異なるものではないかと思います。その上で考えると、社会関係のアウトソーシングで「AIに任せる部分」と「人間が関わる部分」の境目を考えると、どこまで人が居心地よく感じられるか、という問いにもつながっていきそうですね。
社会関係をどこまでアウトソーシングできるかという点について言えば、個人的には意外とそこまで進まないのではないかと考えています。
理由は2つあって、一つはバーチャルリアリティで行われているアバターの活動は、結局のところ背後にいる人間が操っているからです。社会関係そのものをいわゆるAIが作ってくれるところまでいかないと、アウトソーシングとは言えないと思います。
もう一つは、「あなたにマッチングする相手はこの人ですよ」とAIが提案したからといって、それだけでは社会関係が作られたことにはならないからです。例えば、AIによる結婚希望者同士のマッチングは社会関係のアウトソーシングと言ってもいいのかもしれません。しかし、提案されただけで、社会関係が作られるわけではありません。やはり最後は、人間が自ら動かないと社会関係は構築されないですよね、今のところは。
――これからは、社会関係を築く相手が、人ではなく、AIでもいいと考える人も増えそうです。例えば、対話型AIとやりとりをしているうちに、AIが健気でかわいく感じたり、わかり合えた気持ちになったりすることもあると思います。
たしかにそうですね。先ほどは「社会関係構築のアウトソーシング」と言いましたが、実はそれだと少し狭いので、本来は「コミュニケーションのアウトソーシング」と言うべきかもしれません。
私たちは必ずしも相手が人でなくてもコミュニケーションできる。それが今の時代のテクノロジーのあり方です。だとすると、相手が人であることが前提の社会関係構築だけに問題を設定する必要はなくなります。
ただ、学者の中では「身体がないので究極的な身体感覚は共有できない」という理由で、結局、コミュニケーションのアウトソーシングはできないと考える人の方が今は多いですね。
「量質転化」によってAIも意味や概念を理解できるかもしれない
――AIが学ぶ情報の量がとんでもなく膨大な規模になっていくと、その機能や能力がどこかで質的に大きく変化する可能性があると思えてきているのですが、萱野さんはどう思われますか?
量が質に転化するというのは、「弁証法」の原則の一つです。これはテクノロジーにも当てはまる可能性があります。
例えば、ChatGPTは教育現場にとって脅威です。今はまだ学生がChatGPTでレポート作成した場合、精度が低いのですぐに見分けられます。しかし、乗数的にAIの経験値が高まっていくと、人間が作ったものと見分けがつかなくなる日も来るのではないでしょうか。これはかなり深刻で、学生にレポートを課す根拠がなくなってしまう。
人間はフレームワークを設定できますが、コンピュータにはできない。だから、最終的な答えはコンピュータには出せないと考える人もいます。しかし、フレームワークを作る能力が人間だけに備わっていると考え続けていいのでしょうか? レポート程度であれば、フレームワークの適切化も実現できてしまう気がするのです。
――ニューラルネットワーク自体がパターンを認識してフレーム化、モデル化するものですよね。人間だけにしかできない「フレームワーク」とは何なのでしょうか?
人間のフレームワークには初歩的な概念化も含まれます。人間は、猫を10回くらい見れば、猫という概念を理解できます。赤ちゃんですら、猫だと1回わかると犬やネズミから区別できるようになる。つまり、人間は意味や概念の法則性を見つけることがとても得意です。
これはコンピュータではなかなか到達できない知的作業だと多くの人が言います。しかし、本当にそうなのでしょうか?
実際のところ、人間もいくつかの事例を通じて概念を形成しているという点で、量の蓄積によって概念を把握しています。そう考えると、人間と人工知能の違いは単に量的な違いであるとも言えるかもしれません。例えば人間は猫を10回見れば猫の概念を理解できます。これと同じことを、コンピュータが1億枚の猫の画像を見てできるのであれば、単なる量の違いとも言える。
その場合、コンピュータにとっては1億の画像認識を100億に増やすのは簡単なので、結局のところ人間にどんどん追いついていけることになります。ある程度時間が経つと、高度なAIの行った概念化がどこまで適切なのかですら、人間は判断がつかなくなっていくかもしれません。
――人間は、静止画で伝わる目や鼻の形、毛並みのパターンなどの情報だけではなく、声や動き、触れたときの感触など様々な情報で猫を判断しています。今はまだインプットするデータの違いが影響しているのかもしれません。
人間は猫を一度見るごとに、膨大な情報を一瞬で取り入れているので、色が違ったり、種類が違ったりしても、猫だと間違いなくわかります。そのときの情報量は、コンピュータに機械学習させているときよりも圧倒的に多い可能性がある。多くの情報が必要という点で見れば、人間も機械学習も変わらないのかもしれません。
今後、AIが法則性を学習したり発見したりする精度はどんどん高まっていくでしょう。かつては計算力や記憶力をアウトソーシングしていましたが、今後は思考までアウトソーシングできるのではないかと容易に想像できます。
AIは裁判において公平な判断ができるが、責任をとれるかは未知数
――思考までアウトソーシングされたとき、人間だけにできることは何なのでしょうか?
「人間だけにできることは何なのか?」と、結論を急がないことが重要です。人間の脳にしても、多くのことはまだ解明されていません。電気信号で情報処理をしているという点では、脳もコンピュータも仕組みは同じです。
今後、脳のアウトソーシングはもっと大規模に進んでいくと考えられるので、少なくとも人間の脳の働きとAIの違いを議論することに意味がなくなっていく可能性はあるでしょう。
――そうなった場合、教育分野はどうなっていくのでしょうか?
私個人でいうと、大学での期末テストのやり方を変えました。以前は、あらかじめ「期末テストでこういう問題が出ます」と学生に伝えていましたが、その問題を学生が「Yahoo!知恵袋」に質問として出して、その回答をそのまま提出されたことがあるんです。ChatGPTでも同じことが生じますので、現在はその場で考えて書かせる問題を与えています。
ChatGPTが台頭することで、「コンピュータが答えを出してくれるなら、人間が学ぶ必要はないのでは?」という問いが教育の現場に出てくることもあるでしょう。しかし、これに対しては明確に違うと思います。
教育の目的は正しい答えを教えることではなく、人間の知性をバージョンアップすることだからです。例えばAIに「金融緩和するとどうなりますか?」と聞いたら、もちろん答えてくれるでしょう。しかし、そもそも私たちが金融緩和とは何かを知らなかったら意味がありませんよね。
――今後、AIの台頭で大きな問題になりうる分野は何だと思いますか?
私は、裁判ではないかと考えています。交通事故の裁判一つとっても、どんな状況で、本人がどんな状態で運転していたのかなど、あらゆる構成要素が違います。今はそれぞれの状況を踏まえ、最後に人間である裁判官が「えいや!」で判断しているのです。
裁判は、人間の判断の中でももっともAI的なものの一つです。判例という参照すべき事例が明確にあって、感情に左右されない形で公平な判断をしなければならない。特に日本の裁判所は誰がやっても同じ結論が出る判決を理想としています。
その知識と価値判断をアルゴリズムで示すことができるなら、AIによる裁判の方がより公平でいいと考える人が出てくる可能性は大いにあるでしょう。
しかし、そうなったときに裁判での判決の責任は誰がとるのか。また、社会はAIによる裁判に納得できるのか。そこまでの役割を本当にAIが果たせるのかは未知数です。同時に、裁判は本質的なところで「人間とAIがどこまで一緒なのか」を議論しやすい分野でもあります。
――判決に納得できないときも、責任の所在がAIより人間であるほうが諦められるというケースはあり得ますよね。
ドイツの社会学者であるニクラス・ルーマンは、「政府の大事な機能の一つは、人々の不満を吸収すること、要はサンドバッグ役になることだ」と言っています。AIにサンドバッグが務まるのかは疑問ですね。
人間は不満を政府にぶつけることでガス抜きをし、「政府が悪いのであって自分は悪くない」と感情的な安定感も得ている。もし人間のこうした側面が克服されたら裁判にもAIが導入されていくのかもしれません。
なので、しばらくAIはあくまでも人間の判断の補助として使われていくのだと思います。経験が蓄積されていけばAIによる判断を人間が受け入れていくのか、あるいは最終的には人が判断しなければ納得できないのか……。何がきっかけで変わっていくのか、まだ私も見通しは立っていません。
むしろメディアテクノロジーと人間をつなぐ仕事が増える
――AIが発展していった先に、人間は何を大事に生きていくと思いますか?
身体こそが、人間にとってより重要なものになっていくのではないでしょうか。いろいろなことがアウトソーシングできるようになると、身体をますます自分のために使えるようになるので、逆に身体の価値が高まっていきます。
――アウトソーシングが進むと、一方で人間の仕事が奪われていくのではないかという懸念もありますよね。
これまでのアウトソーシングの歴史を見ていくと、テクノロジーは人間のさまざまな機能や能力を拡張し、代替してきました。その結果、もちろん新しいテクノロジーは古い人間の仕事を奪ってきましたが、それ以上に、その新しいテクノロジーと人間をつなぐ新しい仕事を創出してきました。例えば自動車というテクノロジーは、馬車に乗る馭者の仕事を奪いましたが、自動車工場でその何倍もの仕事を創出したようにです。
AIが発展することで、人間の仕事が減ると言う人がいますが、現実にはSEは人手不足で、AIをメンテナンスする技術者はどこでも引っ張りだこです。新しいテクノロジーと人間をつなぐ仕事というのは、両者を「媒介」する仕事であり、メディアとは本来「媒介」という意味であることを考えるなら、新しいテクノロジーはつねに自身の周りに新しいメディア状況を生み出しながら新しい仕事を生み出していくと言えます。
――つまり、インターフェースを担うということでしょうか?
そのとおりです。人間の仕事が減るとは決して思いません。AIの発達によって、AIのメンテナンスに携わる技術者から、コンサルティングに近い人たちまで、幅広い職業が新しく生まれていくと思います。
そうなると、人間にとっては単に余暇の時間が広がるというよりは、余暇の時間と、余暇ではない時間が曖昧になっていくでしょう。例えば、農作業をアウトソーシングする前は、農業をやっているときは仕事、やってないときは仕事ではありませんでした。
ですが、農作業の一部をAIにアウトソーシングすると、ネットで調べものをする時間も仕事になる可能性があり、趣味の調べものをしている時間と区別がつかなくなっていきます。これはどの領域にも言えて、脳をアウトソーシングすることによって、仕事と仕事ではないものの境界が見えなくなる。この2つが融合した世界の中で人間の活動領域が広がっていくのではないでしょうか。
2023年3月17日インタビュー実施
聞き手:メディア環境研究所 冨永直基、島野真
編集協力:矢内あや+有限会社ノオト
※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。