便利の先に挑む企業たち【1】生体認証でつくるフリクションレスな世界

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公開日: 2019年2月12日

今、私たちの暮らしは生活を変えるようなイノベーティブなサービスによって変わろうとしています。その中で特に、産業の際を超えていくような新しいサービスを表すキーワードとして、「フリクションレス」という言葉が注目されています。しかし、日本では交通は交通、物流は物流といったように各産業や領域が独自に便利になっており、それぞれのサービスが連携されずに進化しています。そのため、サービス間ではこの摩擦の解消がなかなか進んでおらず、便利とはまだ言えないのが現状です。

そこで、本連載では、そうした産業間やサービス間の摩擦を解消していくようなフリクションレスなサービスの実現に向けていち早く取り組んでいる日本の企業にお話をうかがい、便利の先にどのような生活の変化が生まれるのかを考察していきます。(フリクションレスについて詳しくはこちら

第一回は、生活の全てに生体認証を持ち込むことでフリクションレスを実現しようとしているLiquid Japanの代表取締役保科秀之さんです。メディア環境研究所の小林が伺いました。

「盗ることの方が働くより大変」にすれば、経済犯罪は無くせる

小林:昨年、メディア環境研究所で「Beyond Convenience 便利の先の価値をつくる」というタイトルでイベントを行いました。これまでスクリーンの中で起きていたデジタル化がスクリーンの外に移ってきたことで、ますますフリクションレスを求める流れは加速していくと考えています。イベントでも米中の事例を紹介させていただきましたが、日本ではどうなのかと思い、私個人としてもフリクションレスについていろいろ調べていたところ、ある雑誌でLiquid Japanの記事を拝見し、フリクションレスなサービスを実践されていることを知りました。

現在の日本は、サービスごとにIDやパスワードをたくさん設定しなければなりません。しかも、他サービスで使っているのと同じものは使わないでくださいと言われるので、膨大な量のIDやパスワードの管理が不可避となっていてとても煩わしいです。そんななか、個人が持つ指紋や顔は一つなのになぜ毎回登録する必要があるのかという思いから、生体情報を一度登録すればいつでもどこでも自分を証明できる世界を目指されているということを知り、是非お話をおうかがいしたいと思い、インタビューをお願いさせていただいた次第です。

保科:ありがとうございます。最初に当社と、親会社のLiqudについてお話しますね。Liquidは久田康弘が創業しました。私は久田と一緒に仕事したことがあり、世間話の中で久田が語るLiquidのビジョンに共感しジョインしたんです。話すうちに、開発と営業、日本と海外で組織を分けた方が活動しやすいということになり、国内の営業を担当するLiquid Japanを新たにつくって私が代表になりました。

小林:Liquidを創業した背景についてもお聞かせください。

保科:久田が学生時代に法学部で犯罪の勉強をしながら国連でインターンをしており、世界の犯罪について調べて行く中で、「世の中の犯罪の9割が経済犯罪である」ということや、その発生理由が「働くより盗る方が簡単にお金を得られる」というある種の合理性に基づいていることを知ったそうです。

そこで、「盗ることの方が働くよりもずっと大変だ」という状況にすれば、犯罪が無くせると考えつきました。例えば、物理的に財布を盗んだり、IDやパスワードといったデジタルの個人情報を盗むのはそれ程難しくありません。この状況を変えるには、本人しか認証出来ない生体認証を、生活のあらゆる場面で使うようにすればいいんです。

当時、久田が識者にヒアリングしたところ、生体認証の技術自体は研究が進みつつある一方で、生活の全てに使うといった発想は全く無かったそうです。こうした経験が、Liquidの創業に繋がっています。

生体認証の方式を決めることが課題

小林:フリクションレスをテーマにしたイベントでも触れたのですが、日本では個々の分野では技術が成熟しているのですが、その連携があまり進んでいないという現状があります。生体認証も提供している企業は沢山あると思うのですが、連携という視点ではどのような状況になっているのでしょうか。

保科:政府や業界団体が推奨する生体認証の方式を決める、というところまでは行っていません。いくつか有力なベンダーがありますが、方式はバラバラですね。手法としても指紋、顔、目の虹彩、静脈と様々なものがあります。当社は指紋認証がメインで、最近は顔認証にも取り組んでいます。

統一した規格などが中々決まらず足踏みしているような状況の生体認証を横目に、スマートフォンを使ったQRコードが一気に伸びています。中国などを見てもQRコードが普及してから生体認証が伸び出すという流れなので、これはある程度仕方ないのかもしれません。

保科:スマホは確かに便利なのですが、セキュリティを担保するためにはいろいろな認証が必要です。フリクションレスということであれば、何も持たなくてもいいという方向に行くべきだと考えています。

日本でも交通系ICカード、スマホに続く動きとして5〜10年後に生体認証が普及すると思っています。その際に覇権を取るべく、各ベンダーがいろいろな取り組みを進めている、といった状況だと思います。

小林:現在の認証技術は、例えば銀行であれば自社のサービスの中で完結しています。でもLiquid Japanはもう一つ上の視点で、事業者が共同利用出来て、消費者の利便性も高いサービスを目指していますよね。

保科:そうですね、目指しているゴールはそこにあります。クラウド上でセキュアに生体情報を集めることに関する技術的な課題もクリアしているのですが、一方で法律などの問題で個社ごとにサービスを提供しなくてはならない部分がある、といった状況ですね。

当社の指紋認証サービスはテーマパークや銀行で使っていただいています。最近では当社の指紋認証機能を備えた、中小の小売店向けレジ「LIQUID Regi」が月間50〜100台ほど売れています。


Liquid社公式サイトより

保科:LIQUID Regiがこのタイミングで売れているのには、国の軽減税率制度が2019年10月から始まることが関係しています。新制度では、同じ食べ物でもテイクアウトすると消費税が8%、店舗で食べると10%になります。スーパーや飲食店では現在、この制度に対応するためのレジの導入が進んでいるところです。国は軽減税率に対応したレジを導入する際に補助金を出しているため、指紋認証に興味をお持ちの場合にご導入いただいている、といった具合です。

小林:御社のサービスを利用した消費者の方からの評判はいかがでしょうか。

保科:各社で定期的にアンケート調査をされていらっしゃいますが、指紋認証に登録された方の8割から利便性が高いというお声をいただいています。
一方で、一度指紋を登録してもらうまでにはかなりのハードルがあるようですね。銀行の場合、「カードを忘れたときや、無くして再発行する場合にもとてもスムーズ」といったことを伝えるとお客様から好意的に反応してもらえることが多いそうです。しかし、それでも登録してもらうために一度店舗に来てもらう必要があるので、そこは中々難しいようです。スーパーマーケットの場合は、一部の常連さんが登録していて、その方たちには概ね好意的に捉えていただいている、ということでした。

現在の技術では、指紋が一番精度が高い

小林:指紋認証に注力している理由は何でしょうか。

保科:認証精度の高さが理由です。当社のサービスでは指2本の指紋で決済認証しています。指紋は指1本で30万分の1、指2本だと900億分の1を特定する精度があります。この数字は全世界の人口を超える精度ですし、実際に当社のサービスでこれまでエラーが出たことはありません。当社は、多くの人の中から素早く間違いなく人を探す技術に関する国際特許を持っているという強みもあります。

一方で顔認証は手軽ではありますが、実は精度がまだまだ低いです。例えばiPhoneのFace IDの場合は100万分の1の精度、つまり100万回に1回くらいは間違ってしまうという精度です。より精度を高めるよう1000万分の1、1億分の1に設定することも技術的に可能ですが、そうすると本人もはじいてしまう可能性が高まります。技術的には成熟した分野なので、将来認識精度が改善されるという可能性も低いです。

保科:静脈は、指紋より手間がかかるという欠点があるうえ、既に多くの特許が取られていて新規参入が難しい状況です。目の虹彩に関しては、現在はセンサーをかなり目に近づけなくてはならないという課題がありますが、これはカメラが進歩すれば改善する見込みがあり、将来的には有望でしょう。

当社のメインは指紋認証ですが、最近は顔認証にも取り組んでいます。スマホとの相性が非常に良くて手軽であり、課題である精度についても別の認証と組み合わせればある程度高められることが理由です。

金融事業者が口座開設やクレジットカードを発行する場合、以前は郵送による本人確認が必須でしたが、法改正によりスマホを使った顔認証も認められるようになりました。当社も、スマホを使った顔認証サービスを金融事業者向けに提供しています。

小林:顔認証と組み合わせて用いる場合、どんな手法が考えらえるんですか。

保科:同じく映像から出来るものとして手軽なのは体型ですね。例えば体型で1万人の候補から100人に絞り、それに対して顔認証をかければ非常に高い精度が期待出来ます。映像を使った歩き方などの行動解析も、体型と同様に有効だと思います。

こうした手軽な認証の手法を実用化することは、社会的な意義も非常に高いと思っています。例えばセルフのガソリンスタンドは現在、常に2人が常駐しなくてはならないと消防法で決まっています。でも自動で認証や決済が出来るようになれば、常駐が1人で済むようになるはずです。これは地方の人材不足の解消に役立つでしょう。

小林:私はスマホの指紋認証を使っているのですが、うまく認識出来なくなって何回か再登録をしました。御社の指紋認証ではそういった問題は起きないのでしょうか。

保科:スマホに搭載しているものより、当社の技術の方が遥かに精度は高いのですが、それでもエラーが起きてしまう状況はあります。例えば当社にアレルギー体質の社員がいて、指の先の皮がほとんどむけてしまっているときがあり、そういう時は認識が出来ません。その際の予備として顔認証とも組み合わせる、といったことが可能です。

小林:他国と比較した場合、日本は生体認証が普及しやすいんでしょうか、それとも難しいのでしょうか。

保科:先進国はどこも似たような状況なのですが、様々なICカードや決済手法などが既に普及していて利便性が高いため、生体認証に切り替わった際の利便性が実感しにくいことが課題かなと思っています。

まずは高いセキュリティが求められる分野からスタートすることになると思います。具体的にはネットショッピングで使う際の決済が最初で、次に店舗での顔認証により手ぶら決済を実現する、といった流れだと思います。

小林:今後の目標を教えてください。

保科:ユーザー数を増やすことが大事だと思っています。現在でもクラウド上にかなりの数の指紋データを持っていますが、これをもっと増やしていきたい。公開は出来ませんが、管理会計上のKPIとして目標を設定しています。

現在、世界で一番生体情報を持っているのはインド政府と言われており、指紋と目の虹彩のデータを約12億人近く持っています(出典:AADHAAR Dashboard)。登録しないと銀行の口座を止められるくらい、一般的に普及しています。政府しか利用出来ない形のプラットフォームになっていますが、我々がフリクションレスを実現しようとする場合、こういった規模のデータを一般のサービス向けに使えるようにしなくてはならないと考えています。

小林:本日はいろいろなお話をありがとうございました!

対談後記

フリクションレスな新しいサービスについては、米国や中国の企業がよく話題になりますが、日本でそうした領域に挑んでいる企業にお話しを伺いたいと思い、私たちの生活を大きく変えていきそうな「生体認証」に取り組まれているLIQUID社にお話を伺ってきました。

スマホのロックにも指紋認証や顔認証が取り入れられたことで我々の生活に浸透してきた生体認証ですが、各種サイト等では未だに個別のIDやパスワードを登録しなければならず、その数は増えていくばかりです。これがすべて生体認証で実現できたら生活はどんなに便利になるでしょうか。

実際にLIQUID社に伺うとオフィスへの入室は指紋でされるなど、最初からとてもフリクションレスな世界を見させていただきました。カードなどで毎回タッチするのも特に大きな荷物ではないにしろ、「身一つ」で動けることで広がる自由度は果てしないと感じました。

決済も認証も、何も携帯せずにできるとしたら、オンライン上の個人情報の盗難だけではなく、海外旅行などに出かける際にお金やカード等の盗難も減少していくでしょう。増え続けるIDやパスワードも、スマホの中には情報が蓄積されていますが、その情報の詰まったスマホを紛失した時にはどうなるでしょう。

便利の先の世界とは、モノや情報の紛失や盗難などの心配がなく、「自分」という個が認証のカギとなる世の中です。煩わしい多数の情報やモノから解放されることは、まさに「便利の先の生活の変化」といえます。しかし、同時にこうした便利の先の世界の実現には法改正が大きなカギを握っていることもわかりました。法改正が進み、無数のIDやパスワードなどで煩雑化した世の中を、身体一つで身軽に生きられる世界に早くなってほしいと強く思いました。

今後、他分野でも便利の先に挑んでいる企業にお話しを伺っていく予定です。ご期待ください!

プロフィール

保科秀之
Liquid Japan 代表取締役
1984年東京都大田区出身。成城大学を卒業後、日本IBMに入社。その後ITベンチャーを経て2015年に「次世代指紋認証を使った決済ソリューション」を提供する株式会社Liquid Japanの創設から参加し、現職。 http://liquidinc.asia/
小林 舞花
メディア環境研究所 上席研究員
2004年博報堂入社。トイレタリー、飲料、電子マネー、新聞社、嗜好品などの担当営業を経て2010年より博報堂生活総合研究所に3年半所属。 2013年、再び営業としてIR/MICE推進を担当し、2014年より1年間内閣府政策調査員として消費者庁に出向。2018年10月より現職。

※掲載している情報/見解、研究員や執筆者の所属/経歴/肩書などは掲載当時のものです。